Archive for the ‘三和新聞’ Category

第268号 どうする!

2023-04-30
第268号 どうする!
writer:杉 浦 秀 幸

新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言が初めて発令されてから3年が経ちました。当初は様々なイベントが中止になり、外食も控えるなど感染の恐怖におびえて街は閑散としていました。最近になりやっとマスクの着用は個人の判断に委ねられ、コロナ禍での行動制限は緩和されてきて、以前のようにイベントも行われるようになってきました。今年のゴールデンウィークの人出はコロナ前の水準に戻ると言われており、またゴールデンウィーク後からは感染症法上の位置づけが5類に引き下げられるようで以前のように日本中が盛り上がり更に楽しいことが増えることを願っています。

 
  さて今回は私が最近楽しみにしているものを紹介したいと思います。それは今年1月8日にスタートしたNHK大河ドラマ【どうする家康】を観ることです。皆さんご存じのように家康公は岡崎で生まれ、天下人となり江戸幕府を開府された方です。天下人になった方がどのように決断して乱世を生き抜いてきたのか興味が湧きました。また、物語の舞台は私が住んでいる三河地方ということもあり観ることにしました。決断を迫られた時に「どうする?どうする!」と悩む家康公に「殿、お指図を!」と家臣たちが追い打ちをかけるように迫る場面があり、どのように決断をするのかワクワクしながら観ています。ドラマを観る前の家康公のイメージは天下人になった方なので明確な判断基準を持っていて何も迷うことなく決断してきた統率力の優れた方だと思っていました。しかし、ドラマの中では違い、家臣たちに色々と言われて悩み考えた末に決断しています。実際には統率力の優れた方だとは思いますがドラマなので面白く描かれています。

物語は三河地方から始まりますので私の知っている地名や場所などたくさん出てきます。私が住んでいる豊橋市には吉田城があります。城の近くには歴史案内板などたくさんあり、家康公に関係する事柄もあります。その中の一つに家康公が13歳の時に安久美神戸神明社で行われた鬼祭の神事を観覧した時に社殿前の松の根元に腰かけたとされる記録が残っているようです。今はその場所には松ではなく石碑が建てられています。鬼祭とは1000年以上の歴史を有するお祭りで、家康公もご覧になっていたとは知りませんでした。また、城の近くには豊川が流れていますがここも深い関係があります。家康公は桶狭間の戦いのあと、当時の主君であった今川氏真から独立しようと考えました。正室の築山殿と子供たちは今川家に残されており、人質交換をすることで取り戻すことになりますが、その交換場所が吉田湊(豊川)で引き渡されたと記録があります。さらには吉田城の歴代城主にはドラマにも登場してきます『海老すくい』の踊りを披露する酒井忠次がいます。この方は『徳川四天王』と云われている家康公の側近として忠義深く仕えて開府に大きく貢献した方で、城主であった当時は東三河を任されて統率されていたようです。約460年前の出来事ではありますが豊橋も家康公と深くつながりがあるのです。

ドラマを観ていて毎回感じていることは「どうする!」と迫られた時は戦国時代での1つ1つの決断は運命を左右する事になる為、相当なプレッシャーがかかり安易な決断は出来ないと思います。瞬時にしないといけない場合もありますが、それ以外は決断する前に家臣たちの意見を聞き自分で出来得る最大の事をしているように思えます。全て正しい決断が出来る訳ではありません。それで方向が間違っても再度挑戦して天下人となったのでしょう。家康公の名言に『決断は実のところそんなに難しいことではない。難しいのはその前の熟慮である。』と残されています。私の仕事でも決断しないといけない場面はたくさんありますが正しい決断ができているのか不安になることもあります。そんな時は家康公の言葉を思い出して事前によく考え、段取りやシミュレーションを行い決断したいと思います。

第267号 オオタニサン

2023-03-31
第267号 オオタニサン

writer:太 田 敏 浩

 侍ジャパンWBC優勝おめでとうございます!準決勝では村神様が降臨して劇的な逆転サヨナラ勝ちに痺れました。そのお膳立てをした大谷選手のヘルメットを投げ捨てての二塁打と塁上での雄叫びもかっこよかったです。決勝戦では大谷選手が最後の打者を三振に抑えた瞬間、帽子とグローブを投げ捨てて感情を爆発させた姿に身震いしました。大谷選手が投打の中心になってグラウンドでもベンチでも自らとチームを鼓舞し続けました。侍ジャパンのメンバーがそれに反応し、仕事をこなしていくことによって世界一という結果に辿り着いたと思います。今回のWBCは大谷選手に始まり大谷選手に終わった正に【大谷劇場】でした。大谷選手は日本野球の繊細さとアメリカ野球の大胆さをハイブリッドした新しいタイプの野球選手だと思います。これからどんな伝説を残していってもらえるのか楽しみです。3年後のWBC開催を首を長くして待ちたいと思います。しかし!忘れないで欲しいのは世界最強の侍ジャパンに唯一黒星を付けたのが我がドラゴンズであることです。ドラゴンズこそ真の世界一と言い張りたいです。その為にも今年のペナントレースではWBCでも活躍した高橋選手を筆頭にドラゴンズ旋風を巻き起こしてくれることに期待します。

 さて話はガラッと変わりまして、私の母が亡くなって早くも1年が経ちました。炊事・洗濯・掃除と今まで母に任せきりだった家事全般を父と2人でこなしつつ、最近は何となく役割分担も決まってきた感じです。我が家にとって母こそが大谷選手だったと思い知らされました。これからは父との【ドタバタ劇場】を楽しめるように頑張りたいと思います。そんな日々繰り返される家事の中でも料理は楽しい作業です。朝ごはんは納豆ご飯とサラダで済ませていましたが、年明けくらいから目玉焼きを追加しました。目玉焼きのみでは物足らなくなり、薬味で買うネギが常に余り気味なので細かく切って卵の下に敷いて焼いてみました。元来『ネギ星人』なのでハマりました。最近はハムの上に大葉・ネギ・卵を乗せて焼いています。卵の白身が全体を覆い黄身の甘みが相まってお気に入りの味のコントラストです。卵はコレステロールを上昇させると言われ長らく敬遠してきましたが、最近では逆に下げるとの話もあり…正解はよくわかりません。しかし卵は大谷選手の様に単独での味わいのみでなく、全体を包み込む力を秘めている食材だと思います。価格が上昇していますが今後も朝の定番メニューとして大谷選手に負けないように進化していきたいと思います。

 続きましてカレーライスは母が亡くなってから月に2回程作っています。作り始めた当初は鍋の中で玉ねぎを炒めて色が付いてからその他の食材を追加して炒め、水を入れてカレー粉を入れる順で作っていました。最近はもう少し拘(こだ)ってフライパンでまず玉ねぎのみを飴色になるまで炒め、取り出してから他の食材をフライパンで炒めてから全てを鍋に移して水を入れて煮込む様に変えました。玉ねぎの炒め方は当初は弱火で炒め続ける作業でしたが、最近はある程度色が付いたら蓋をして蒸す事を繰り返すことで時短と色ムラが少なくなる効果が出たと思います。食材を切る大きさも父が食べることを考慮して火が通りやすいように小さめに切るようにしています。小さくすることによって味の一体感が高まったと思います。更に当初はニンニクを控えめに入れていましたが、最近はガッツリ投入しています。これによって味の盛り上がりが刺激的になりました。カレーにも全ての食材を包み込む力があると思います。更にカレーライスの上に目玉焼きを載せて食べるのが私の贅沢カレーです。カレーライスは父にも好評なので今後も色々トライしていきたいです。

 そんな大谷選手やカレーライスには実力だけでなく人々を魅了する力があります。『魅了』とは【人の心を鷲掴みにして、惹きつけてしまうこと】です。これが出来る事がプロの仕事だと思います。個人個人が【オオタニサン】になるのは難しいけど、まずは【コタニサン】や【ナカタニサン】になることで三和機工を【オオタニサン】に出来る様に皆で頑張っていきましょう!!それでは皆様、今夜はカレーライスにしませんか♪

第266号 夢の座布団

2023-02-28
第266号 夢の座布団

writer:菅 沼 稔

 サーフ(砂浜)からのヒラメ釣りを始めて約10年になるだろうか、その瞬間は不意に訪れました。昨年12月25日のクリスマスの事です。サンタさんから素敵なプレゼントが有りました。因みにその前日のクリスマスイブは私のお誕生日、22歳になる長男からお酒のプレゼントで芋焼酎の『魔王』を頂きました。以前少しだけ飲む機会が有り美味しかった話をしたのを覚えていてくれたようです。あまりの嬉しさと美味しさで、その日のうちに空けてしまい…後で後悔しました。そんな状況もあり翌日は朝早く起きられなかった為、お昼過ぎからのんびりと釣りに出掛けました。いつも行く時間は『朝マズメ』と言い魚の動きが活発になり釣れやすい時間帯の為、釣り人が多く自由にポイントが選べないのですが、お昼過ぎでしかもクリスマスだからなのか釣り人は数人でポイントは選び放題でした。

 釣り開始から30分程経った頃でしょうか、ズシン!とした重みが釣竿に伝わって来ました。咄嗟(とっさ)に合わせを入れましたがビクともしないので、地球でも釣ったかな?(根掛かり)と思った矢先に「ジージー!」と凄い勢いでドラグが鳴ります。『ドラグ』って何って方の為に解説するとドラグとは糸の強度を上回る大物の強い引きに対して、一定以上の力が加わるとリールから糸を送り出して仕掛けが切れないようにする為のリールの機能です。この機能が働くということはかなりの大物です。稀にエイや青物(ブリやサワラ)が掛かる時もあり、その時もかなりの引きなのですが今回の引きは明らかに違っていて【ヒラメだ!】それもかなりの大きさである事を確信し、心臓はバクバク♪でした。バラさない(糸が切れて逃がさない)ようにゆっくりと魚を弱らせてようやく波打ち際まで寄せた時に、ヒラメの魚体が確認出来ました。心拍数は更に上昇し、アドレナリン出まくりです!サーフ釣りあるあるなのですが波打ち際でバラす確率が非常に高いのです。過去に何度も苦い思いをしていますがこれ程の大物は経験がありません。波のタイミングに合わせて岸にずり上げようとしますが重すぎて上がって来ません。最後は引き波に合わせて波打ち際のヒラメ目掛けて突進し、尻尾をわしづかみでずり上げました。「ヒラメ捕ったど~♪」状態です。余りの大きさに膝が震えるほど興奮しました。サイズは70センチ有り【座布団ヒラメ】といわれるサイズです。アングラー(釣り人)の間では40センチ未満を『ソゲ』40センチ以上を『ヒラメ』60センチ以上を『小座布団』70センチ以上を『座布団』といいますが、このサイズを釣るのが多くのアングラ-の【夢】なのです。私のこれまでの最高記録は56センチでしたから小座布団を通り越して大幅な記録更新となりました。

 冒頭でも言いましたがこの釣りを始めて10年、最初の2年程は殆ど毎回、坊主(釣果ゼロ)でしたが雑誌やYouTubeで得た情報を元に色々と試して来ました。広大なサーフでは一見すると何の変哲もない様に見えますが、波の立ち方や崩れ方・海面の色や状態・潮の流れ・海鳥の動き等の情報から海の中の地形を想像してヒラメのいそうなポイントを探します。そしてヒラメがどんなベイト(餌となる小魚)を補食しているのか予測してルアーを選択、それを弱った小魚の如く操作し、時には大きな魚から逃げ惑う小魚の様に演出してヒラメにアピールするのです。ある程度の知識を身につけると、こんな時間帯は釣れないこんな場所では釣れない等の常識にとらわれてセオリ-通りになりがちですが、誰もやらない場所や方法を試して釣れた時は何とも言えない充実感が有ります。もちろん運だけで釣れることも有りますが、上級者は他の人が誰も釣れていない時でも釣果を出しているのですから、きっと人と違うことをしているのだと思います。ビジネスにおいても困難に直面した時や行き詰った時ほど、常識にとらわれずに自由な発想で新たな道を切り開いていきたいと思います。 

第265号 ☆青い春☆

2023-01-31
第265号 ☆青い春☆

writer:新 妻 吾 郎

 2月である。まさに受験シーズン真っ只中である。実はワタクシ『中学受験』をした経歴がある。小学4年生から、せっせと塾に通い~受けた中学は、高校→大学へとエスカレーター式に進学できる早稲田と明治の2校だ。第一志望の早稲田にはフリーフォールのような気持ち良さでスコーン♪と落っこちて、滑り止め?の明治には補欠で一応~受かったのだが「俺は絶対~早稲田へ行く!」と、何を血迷ったのか?なんの根拠もない自信とこだわりで中学は地元の学校に進学した。そこで、今でもよく呑む悪友たちと中学の3年間を遊び呆けて、気づけば私は途轍もなく『アホ化』していた…。さぁ~て、そして高校受験!一夜漬けで何とかなったワケではないが11月・12月・1月と、上がり3ハロンじゃないが~3カ月間は必死こいて勉強して、なんとか東海大学の付属高校に合格することが出来たのである♪←もうこの時点で『早稲田』はドコかへ消え失せた…(苦笑)

 高校生活が始まって、私はすぐさま『ラグビー部』の設立に意欲を燃やした。その高校は何故かアメリカンフットボール部があるのにラグビー部は無かったからだ。中学時代はサッカー・水泳・陸上と3つの部活を掛け持ちで体を動かしていたが、高校に入ったらラグビーをしたい!と頑(かたく)なに思っていた。本当に、ただ漠然と『青春=ラグビー』と幼き頃の(当時6才)青春ドラマに感化されていたからだと思う。そのドラマは1974年放送の中村雅俊さん主演で『われら青春』というドラマである。主題歌の『帰らざる日のために』は当時6才の少年の鼓動を高鳴らせた。「生まれて来たのは何故さ!教えて僕らは誰さ♪」の歌い出しから~サビは「愛する人がいるなら 求めるものがあるなら なんにも怖くはないさ!そいつが青春♪涙は心の汗だ! たっぷり流してみようよ! 二度と戻らない今日のために♪」…と、チョット寒くなるような歌詞に心は熱く燃えたぎっていた。更に!同じ学園スポ根のラグビードラマ『スクール・ウォーズ』1984年放送(当時16才)がドンピシャにハマって、私は部員を募り奔走(ほんそう)した・・・。

 高校は東京の港区高輪にあり、赤穂浪士四十七士のお墓がある事でも有名な泉岳寺の隣である。つまりは都会の一等地なので、校庭がメッチャ狭い。今は総合グラウンドがあるようだが、それは埼玉県の『さいたま新都心』(電車で高校から約1時間!)にある!←遠い。校内にはテニスコートが1面取れるぐらいのスペースしかなく、しかも!グラウンド面はアスファルトである…。それでも入部希望者は30名を超え、品川の当時は河川敷だった所を練習場所に押さえて何とかイイ所までこぎ着けた。しかし思わぬ問題が立ちはだかった。顧問になってくれる先生がいないのだ。実は数年前までラグビー部は存在していて、練習中の事故で1人の生徒さんが亡くなられた事で廃部に。なので、何人もの先生に頭を下げて回ったが…首を縦に振ってくれる先生には出会えず、夢は潰(つい)えた。よって翌日『アメフト部』に入部した…。

 さて、ラグビーでは『One for all, All for one』…この言葉が有名だが『1人はみんなのために、みんなは1人のために』と、解釈されがちだが…実は違うようである。本来の意味合いは『1人はみんなのために(ここまでは一緒だが)みんなは1つの目的のために』なのである。ここでいう【目的】はラグビーでいうと【トライ(得点)】である。ベタだが、とても素晴らしい言葉だと私は思う。それでは、会社にとっての【目的】とは・・・・・

 10年前の頚椎(首)のヘルニア手術で(去年は腰椎ヘルニア手術…アメフトのお陰?カモ)今も、4ヶ月に1度~京都の脊椎病院に通院している。その京都駅から病院へ歩いて行く道中~ラグビーのオーナーさんであろう飲食店がある。そこにはラグビーボールの絵と【楽苦美】と書かれていて、それを見るたび【青い春】を思い出す。

第264号 飛躍の年

2022-12-31
第264号 飛躍の年
writer:彦 坂 訓 克

 

 新年おめでとうございます、本年も昨年同様よろしく申し上げます。新型コロナの感染は増加傾向ですが、3年ぶりに行動制限のない年末年始だった事もあり、お正月は帰省され御家族でのんびり過ごされた方も多いのではなかったでしょうか?我が家の元日は、妻・息子共に仕事の予定で息子については三が日ずっと休み無しで忙しく、家族一緒にお酒を酌み交わす事が出来そうにも有りません(泣)← 書いているのは旧年です。お正月の風物詩とも言える、東京と箱根間を競う箱根駅伝が、正月のお茶の間を熱くしているご家庭も多いのでないかと思いますが、息子が今年の箱根駅伝に携わるお仕事(詳細は言えませんが)をさせて頂けるとの事のようで我が家ではきっと親バカ目線でお茶の間を熱く、沸騰することでしょう。 ← 書いているのは旧年です。

 
 

 さて、2023年は卯(うさぎ)年ですが、卯はおとなしく穏やかな性格から『家内安全』や『子孫繁栄』、前向きに飛び跳ねる姿から【飛躍】や【向上】を表し、新しいことに挑戦するのに最適な年と言われているようです。本来の干支でいうと癸卯(みずのと・う)にあたる年だそうです。この干支ですが、干支といえば寅(トラ)や酉(トリ)など『十二支(じゅうにし)』を思い浮かべる人がほとんどではないかと思います。しかし、干支は『十干十二支(じっかんじゅうにし)』を略した言葉という事で正確には、十干(じっかん)と十二支を合わせたものを干支と呼ぶそうです。(私は、恥ずかしながら十干?聞いたこと無かったです・・)

 十二支とは皆さんがよくご存知の【子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥】で、12種類の動物になぞらえたもので、年の他にも時刻や方角を表したりします。十干というのは、【甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸】のことで、もとは1から10までものを数えるための言葉だそうです。干支十干はこの2つを組み合わせた暦で、2024年は1つずれて『甲辰(きのえたつ)』、2025年はまた1つずれて『乙巳(きのとのみ)』…というように60通りの組み合わせを一巡するのに60年かかるという事です。干支・十干の組み合わせが60年で一巡することから、【元の暦に還る=還暦】満60歳の還暦祝い。なるほど~です。皆さんはご存じでしたか?知らずは私だけか(恥)

 十二支にはそれぞれ守護の仏様がついており、卯年の守り本尊は文殊菩薩。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉からもわかるように知恵を司る菩薩で、文殊菩薩の守護を得ている卯年の人は、その才覚で成功すると言われているそうです。また、十干の『癸』は順序で言えば最後にあたり、物事の終わりと始まりを意味する他『揆(はかる)』という文字の一部であることから「種子が計ることができるほどの大きさになり、春の間近でつぼみが花開く直前である」という意味だと言われているようです。その両方を備えた【癸卯】は、去年までで様々なことの区切りがつき、次へと向かっていく、そこに成長や増殖といった明るい世界が広がっていく年と言われています。ちなみに60年前にあった前回の【癸卯】の年の出来事を調べてみるとあの漫画界の巨匠!手塚治の『鉄腕アトム』が、連続30分テレビアニメ第一号として放映が開始され(若い世代にはわからないかな~)また、誰もがご存じの調味料ブランドの超長寿番組となっている『キューピー3分クッキング』や、鎌倉殿の13人見ていましたか?NHK総合テレビで大河ドラマが放送開始(テレビばっかりかよ!)食品では、インスタント焼きそばの超ロングセラー『日清焼きそば』発売開始など、やっぱりこの年に始まるものは、あたり年かも知れないですね。

 今年は去年までで様々なことの区切りがつき、次へと向かっていく、そこに成長や増殖といった明るい世界が広がっていく年と言われています。皆様の区切りとは何でしょうか?明るい世界の広がりは何でしょうか?歳を重ねていく度に年々1年過ぎるのが早い!その傾向は強まるばかりです。子どもの頃に比べると格段に速く感じられる時の流れ、ボンヤリしてはいられませんね。今年はまだ始まったばかりです。新しいことに挑戦するのに最適な年!【飛躍】や【向上】に挑戦しましょう!

第263号 メンタル弱いがコツコツと~♪

2022-11-30
第263号 メンタル弱いがコツコツと~♪

writer:小 谷 野 一 彦

 ゴルフを始めて約30年・・・いまだ『100切り』がやっとのレベルで、70台のシングルプレーヤーなんて夢のまた夢だ。なぜ上手くならないのか?練習量は人一倍と自負するのに・・・ゴルフ番組があれば録画しては見返し、レッスンポイントを思い出して練習に取り入れ『足・腰・腕』の使い方をあれやこれやと実践していくうちに、どうやってクラブを振ったらいいのかも解らなくなり、出口の見えない蟻地獄にハマる。この繰り返しで30年が過ぎ、飛距離が落ちる歳になってしまった・・・・・

 

 最近、プロのレッスンにも通った。グループレッスンではあったが小さなスイングから始める基礎練習を丁寧に教えていただき、俺自身も今度こそ!と真面目に取り組んだが・・・やはり100切りがやっとのレベルだ。・・・なぜだ?・・・クラブのせいだ!と、ゴルフショップで相談し店員の勧めるクラブを試打して「お客様のスイングスピード・体型・球筋だとこれが合っています!」と言われるがままに購入しコースに挑むが、相変わらずボールは思わぬ方向へと飛び、クラブは芝に食われて泥だらけ・・・妻は言う「また無駄なお金使ったね(笑)クラブじゃなく、それを持つ腕の問題ね!もっと腕を磨かなきゃ!」「もっともだ!←即答。」気づいてはいるんだよ・・・さらに練習量を増やし、コースの攻め方も考えてはみるが考えた通りの場所にボールが飛ばない。ドライバーからアイアンに変えよく言う『守りのゴルフ』にも挑戦してみたが、それでも変わらず100切がやっとのゴルフから抜け出せない・・・さらに妻は言う「メンタルが弱すぎるね(笑)」「その通りだ!←即答!」

 話は変わり、ギターを始めて約20年。キッカケを作ってくれた喫茶店店主(以下、師匠♪)のご好意で、無謀にも始めた当初から人前で弾き語りミュージシャン(笑)として披露している。お陰様で20年の間に曲数も増えオリジナルも入れながら1時間程度のライブが可能だ。音楽知識もなくギターも上手いワケでもないため、どうしたら観てくれるお客さんを楽しませることが出来るかを考えた結果!師匠に「僕のライブの様子そのままの自虐的な歌詞を書いてほしい!」とお願いして出来たオリジナル曲が『チキンハートの〇〇ピー』だ♪演奏中も会場の人たちに伝染するほど緊張しまくり、そしてその緊張が指に表れプルプルと震えだし!膝もガクガク震え!やがて吐き気までする!しまいには頭が真っ白になり!歌詞が飛び!俺の頭の中で「チーン♪」と音が鳴る!そんなチキンな俺を表した!俺にしか歌えないオリジナルソングだ♪

 俺は目立つことが大好きだ!人の前に出ることも大好きだ!しかし心が追いつかず、滅茶苦茶に緊張する・・・。ある人の結婚式の『乾杯』を頼まれた。『幻の島』と言われ解放感が半端なく、周りはエメラルドグリーンに輝く海に浮かぶ島。日常を忘れにリラックスを求める場所にはモチロン!アロハと短パンというラフな格好。これぞ!ザ・リゾート!そんな環境の中で片手にマイク!片手に乾杯のグラスを持ち、カミカミながらもお祝いの言葉を話し始めた途端!手がガタガタと震えだし!乾杯グラスから祝い酒の大半がこぼれ・・・愛が溢れ出てしまったこともあった。解ってはいたが俺はメンタルが弱い。見た目は色黒でくどい顔、声はデカく目立ちたがり屋・・・はたから見ると、そうは見えないと思うがメンタルが実に弱い・・・。すでにお伝えしている通り、実証されている。性格と共に直すことは出来ないと思う。ただ!・・・それでも30年も続けられているゴルフ、20年も続けているギター、なぜ続けられているのだろうか?それは、メンタルが弱く練習の成果を本番で出せないが『コツコツ』と続けることは俺には出来る、【コツコツ】と努力し続けられることが俺には出来る。これは褒めてもらえることなのではないか!なぁ~妻よ!褒めておくれよ!なぁ~妻よ!(笑)

 ・・・来年の3月で三和機工に入社して40年を迎える。日数で数えると365日×40年うるう年10回分足すとおよそ1万4千610日、時間でいえば約35万時間も三和機工の従業員として働き過ごしている。人に自慢できる結果なのかは分からないが、ずっと勤め続けられている俺は三和機工の生き字引だ(笑)そんな自分を褒めてあげたい!凄いなぁ~よくやって来られたなぁ~よくやって来たね~!メンタル弱いのに(笑)さて、ここまで来たんだ!どうせなら三和機工勤続2万日でも目指そうか!コツコツと!どんな未来が待っているのか楽しみだっ!

第262号 未来のアーティスト達へ

2022-10-31
第262号 未来のアーティスト達へ

writer:鈴 木 昌 彦

 3カ月ほど前になりますが、社長から11月号のメイン記事担当のお話を頂きました。お題目は何にしようかなと悩みましたが私が今感じている事を書きたいと思います。今年の夏は猛暑日の観測史上最長記録更新のニュースから始まり9月に入ってからも35℃を超える体温並みの暑さが続きました。このまま秋はやってこないのかなぁと心配になるほど【地球温暖化】に歯止めがかからない状況にあります。さて、今年2022年の『立冬』は11月7日です。立冬直前で、やっと秋めいてきました。

 

 11月といえば紅葉やレジャーなどでお出かけし、色々な秋を満喫でき過ごしやすい季節だと思います。『食欲の秋』『スポーツの秋』『芸術の秋』『読書の秋』『実りの秋』…など色々ありますが『食欲の秋』で代表的な魚といえば、サンマです。価格も安く手軽に食べられるということでサンマは我が家でも毎年美味しく頂いている魚です。特にこの時期は脂がたっぷりのっていますので塩焼きにして食べるのが1番の楽しみです。パリパリに焼いた黄金色の皮と香ばしい香りに包まれた脂たっぷりの身が口の中で広がっていく独特の旨味は白いご飯とお酒にもよく合います。そんな美味しいサンマが近年では漁獲量が減少し今年もかつてない不漁との事です。これまでのところ漁獲量が少ないだけでなく大きさも昨年以上に小さめで流通量は従来の1/10程度に留まります。燃料の高騰と国際情勢が微妙な影を落としており、不漁の原因は気候変動や外国船による漁獲が増えた影響とみられます。以前は100円前後で購入することが出来ましたが、ここ数年の極端な不漁で安くて美味しい秋の味覚のイメージは過去のものになりつつありそうです。地球環境の変化が私たちの身近な生活にも影響を与えてしまい、寂しい限りです…。

 『スポーツの秋』ではヤクルトの村上宗隆選手がレギュラーシーズンの最終戦で56号の本塁打を放ち、日本人選手のシーズン最多記録を更新しました!日本人では王さんの55本を超えられないと言われておりましたが、最終打席での到達には本当に感動しました。また1本のホームランが劇的なドラマとなり球場の雰囲気や試合の流れを変えてしまうものなので不思議な魅力を感じます。さらに史上最年少で『三冠王』を獲得し、若干22歳での記録達成にも驚いています。若くして野球に取り組む姿勢や考え方がしっかりしており日頃の努力が報われた瞬間だったと思います。

 村上選手と同じ22歳の頃を振り返ってみた時に、私も「プロの機械設計者になりたい!」という夢と希望を持って某会社に入社しました。入社した当初は年配の方が武蔵工業製の『ドラフター』と呼ばれる製図機を使って、手書きで図面を書いて若手が2次元CADを使って設計をしていたと記憶しています。入社して2年目の頃だったと思いますが2度の大きな失敗をしました。1度目は先輩と広島へ承認図の打ち合わせに出張した時です。初めての新幹線での出張にすごく緊張していたと思いますが、普段と同じ格好の作業着と安全靴で駅へと向かってしまったのです。駅では先輩に怒られて慌てて自宅まで戻りスーツに着替えた事を覚えています。その間に先輩は客先と交渉をして時間の変更という形で迅速に対応して頂きました。私の確認不足で先輩に迷惑を掛けてしまい申し訳ない気持ちと先輩とのコミュニケーションの大事さを学んだ出来事でした。

 2度目の失敗は1人で台湾へ承認図の打ち合わせに出張した時です。その頃、同僚たちと仕事帰りに飲んで帰るのが日課となっていた私は出張前日にも関わらず楽しくお酒を飲んでいました。この日は旅行気分でお酒が進み、目覚ましのセットを忘れて寝過ごしてしまいました。小牧空港まで電車で行く予定でしたが急遽、車で行く事になり当時はカーナビもありませんでしたので地図だけを頼りに無我夢中で空港までたどり着いた事を覚えています。幸い搭乗時刻に間に合って事なきを得ましたが、海外出張で気持ちが緩んでしまいプロとしての自覚に欠ける行動だったと思います…。

 私は22歳で大きな失敗を2度経験して【コミュニケーションの大事さ】と【プロとしての心構え】を学びました。あれから30年の時を経て後輩たちへ教える立場となった現職場の環境も随分と変化しました。外国人メンバーも増えてグローバルに対応しなければなりません。言葉や文化の違いで上手く伝わらない部分もありますが『言葉のキャッチボール』を粘り強く続けて行きたいと思っています。彼らは設計者としてのセンスもあり、無限の可能性を秘めていると思います。将来、大空にアーチを描くホームランのように大きく羽ばたく日が来る事を願っています。

第261号 薬と傷だらけの人生・・・

2022-09-30
第261号 薬と傷だらけの人生・・・

writer:新 妻 吾 郎

 少し前の話だが、7月11日(セブンイレブン)で私は54歳になった。翌日の12日には愛娘の莉來(りら)が1ちゃいになった♪いやぁ~メデタイ!目出度い♪自分の誕生日よりも、やはり娘の誕生日は心から嬉しく!感慨深い。しかし、私も54ちゃい…『サザエさん』でいえば~磯野波平さんと同じ年だ!…違った意味で感慨深い。因みにワカメちゃんは9才で~莉來1ちゃい…色々な意味で感慨深い今日このゴローである(寒)。さて、54歳にもなると~体はガッタガタである。私の場合、10年前に頚椎(首)のヘルニア手術をし、8年前には血圧が260にも上がり東名高速で~バイクの上で気絶して死にかけた。それから顔面神経麻痺になり帯状疱疹も出て、また入院。近年では痛風となり糖尿病となって着実に『成人病』のステップを踏みつつ、この6月上旬に腰椎のヘルニア手術を受けたのである…。

 

 10年前の頚椎(首)のヘルニア手術にて『三種の神器』ではないが3種の『痛み止め』と、それに伴う胃薬等々…1日に25錠もの薬を飲む事となった。朝10昼7夜8錠ってな感じで…もっと細かく言うと7時・15時・23時と8時間毎に飲み、8時間×3回で24時間をカバーリングしているのである。なので!8年前の事故時も『お薬手帳』を見せれば「これだけ飲まれているならば痛み止めを足す必要はないですね。」と。顔面神経麻痺も帯状疱疹の時も同様「これだけ飲まれているなら」と…一石何鳥の薬やねんっ!と言いたい無敵のお薬様!この忘れっぽい私が1日も欠かす事なく飲み続けられるのは~飲み忘れると体が【途轍もない痛み】で教えてくれるからである。しかし、1錠…また1錠と半年おきに減らしていって1日あたりに飲む薬を19錠まで抑えたところで、やれ痛風だ!糖尿病だと『成人病』なるモノが怒涛の如くやってきて~またそれに伴う薬が増えて…今現在、1日あたり25錠。…サイコロ振って人生ゲームの『ふりだし』に戻った気分である。

 痛風の時もそうだったのだが、そんな無敵の『痛み止め』お薬様を飲んでいるお陰で?風が当たっただけでも激痛の痛風が~全くもって痛くない!やがて足首から象さんか!と思うほどパンパンに浮腫(むく)みだしてきて「なんじゃこりゃ!」←松田優作さん調。となって病院へ駆け込むと『痛風』と診断結果が。ホント…イイんだか悪いんだかの~お薬様である。それで、腰の方も昔から『プチギックリ』と命名するほどの~立てなくなるほどではないが~『プチギックリ』を繰り返し、『プチプチ』が増え続けて「ちょっと病院、行ってくるわ…」と行ったら「よくここまで我慢できましたね!」とレントゲンでハッキリと椎間板が飛び出ていて神経節に刺さっている画が!…お薬様々ではあるが~即入院!即手術!という運びになったのである。手術当日!担当執刀医が「今回、腰椎の4番と5番の間の手術をするのですが…よく診ると3番と4番の間もあやしくて…多分10年はもたずに、また同じ手術をする羽目に…」「なら!一気にやっちゃってよ!」と私は伝え、全身麻酔で眠らされ~約2時間半の手術は無事終了。腰を縦に15㎝ほど切った手術痕が残って…まさに傷だらけ?の人生なのである…。

 手術は麻酔が切れてから~【地獄】の始まりである。点滴に尿管!ドレーンに弾性ストッキング…とにかく全身が管だらけで『不自由』そのものだ。更に!夜になると人間も動物なので活発になる。「ワァーワァー!ギャーギャー!」うめき声や唸り声が静かな廊下に響き渡り…まさに動物園!ナイトサファリ状態で~眠れない。2日目にはチョット立てるようになったが…立っても座っても横になっても~とにかく!ただただ痛みに耐える日々で(院内では、いつものお薬様を使えず、処方される痛み止めだけだったので)…やはり眠れない。もう気が変になりそうである。追い打ちをかけるように向かいの部屋には「痛え~!痛ぇ~!」と朝から晩まで叫び続ける…通称『雄叫びジジイ』と名付けた輩に、もう怒りは頂点に達し「本当に痛い時は声も出ねぇ~んだよ!声、出ねぇ~ようにしたろか!」と言いたかったが~そこは54ちゃいのオ・ト・ナ♪…ジッと我慢の子であった。(『子連れ狼』より抜粋。←子供か大人かハッキリせぇ!)

 とどのつまり…詰まっているのは~痛みやストレスもそうだが『大の便』である。1日に3回は出る男が4日も出ないと流石にキツい…。座薬は一番可愛いと思われる看護師さんに頼んだ。(この歳になると辱(はずかし)め?を受けるなら~可愛い子である。←キッパリ!)そして!2度も座薬を入れてもらったのにウンともスンとも~ウン〇が…(お食事中の方!すみません!)苦しみ疲れ果てた私に、その可愛い看護師さんはニコっと笑って(マスクでよくワカランが)可愛い声で「それじゃ~ほじくり出しましょうか♪」と一言。「え~!その一言で~出るモンも引っ込んじゃったよ!」「大丈夫ですよ!慣れてますから。苦しまれている患者さんがドーン!と出てスッキリされると、こちらも達成感で嬉しくなるんですよ!変な話、プ~ンと匂いがするとアッ!誰々さんのだ!って、ソムリエみたいなんですよ♪」と、またニッコリ♪…ホンマの天使や♡と思ったが~結果、私は丁重にお断りをして自力で翌日に出したのであった。…しかし、家族でもしてくれるだろうか?と思うような事を他人の方がして下さる…本当に、尊いお仕事や…と感銘しつつ~現在に至る。そして改めて人の役に立つ、尊い仕事を私も遂行しようと身を引き締め…今日も1日が始まる。

第260号 父へ・・・・・

2022-08-31
第260号 父へ・・・・・

writer:岩 本 祐 亮

 8月10日に開催された夏祭り、楽しかったですねぇ♪コロナの対策に暑さ対策もバッチリおこなって頂き!共済会メンバーは勿論の事、準備や片付けに協力して頂いた皆さん本当にお疲れ様でした。有難う御座いました!おかげ様で素晴らしい時間を過ごす事が出来ました。「夏祭り!最高~♪♪」…それにしても暑かったですね。もう9月になるというのにこの暑さ、勘弁してほしいものです。さて2022年も早いもので3分の2が過ぎました。今年中に私のメイン記事はもうありませんので、少し気が早いですが、今年を振り返ってみようと思います。(…少しどころか、だいぶ気が早い?)

 

 ショッキングな出来事といえばロシア軍によるウクライナへの侵攻ではないでしょうか。ニュースで映像が流れると目を覆いたくなる様な光景、あまりにも非現実的な光景に心を痛めます。また新型コロナウイルスは名前を変え、型を変え相変わらず私達の生活に多大な影響を与え続けています。しかし嫌な事ばかりではありません。北京冬季オリンピックでは沢山の日本人メダリストが誕生し、勇気と感動を与えてくれました。私の推しメン羽生結弦さんは惜しくもメダルに届きませんでしたが…(←推しメン情報とか要らない?)

 さて、私にとって今年の重大な出来事といえば、何と言っても父が他界した事です。とても辛く、悲しい出来事でした。私の父は『一男』と書いて『カズオ』と読みます。名前を意識したのか、亡くなったのは1月1日…真面目かっ!と突っ込みたいところですが、精一杯頑張った証だと思います。私はかなりの【お父さんっ子】でした。というか母がとても厳しい人なので逃げるように自然とそうなっていったのかもしれません。父はとても優しく子煩悩で、私が小さい頃の休日といえば必ず一緒に出掛けたり一緒に遊んでくれたりしました。今思い返してみても父に怒られた記憶が全く無いくらいです。その分、母にはタップリ怒られて育ってきたのは、言うまでもないですが…。父は自営で建築関係の電気工事士をしていました。とても忙しく(私同様に!)仕事熱心だった父の帰りは、毎日21時頃と遅く家族の為に一生懸命に働いてくれていました。

 そんな父に病魔が襲ったのは約18年前、私が社会人に成り立ての頃でした。その病魔は『肺がん』しかもかなり進行しており他部位に転移している可能性がある事や再発の可能性、再発した際の生存率など聞きたくない情報や受け入れがたい事実が私達家族を襲いました。そんな状況なので即手術をし、肺の4分の1と腫瘍が摘出されました。手術後は定期的に病院へ通い転移している所が無いか、再発していないかなど検査通院の日々が続きました。術後5年以内に再発等が無ければ一応完治したという事になるそうで、再発する場合のほとんどが5年以内だそうです。幸いにも5年間での転移・再発は見つからず完治という事になりましたが、この間の5年間は父にとってとても恐怖だったかと思います。

 その後しばらくは量をセーブしながらも仕事を続けてきた父に再度病魔が襲ったのは約6年前の事。摘出した肺の影響からか慢性閉塞性肺疾患(“COPD”というらしい)になり咳や痰がひどく、ちょっとした事で息切れを起こす様になりました。当然、仕事など出来るわけもなく自宅で過ごす様になりました。近くのコンビニに行くのもやっとの事で少し歩いては休憩し、また歩いては休憩。まだ60代だというのにとても弱々しく見えました。次第に歩く事も困難になり自宅ではほぼ寝たきりで、食事の量も激減し体重はみるみる落ちて40キロ前後へ。体は弱っていっても頭はしっかりしているのが余計にもどかしく辛かったのか、ネガティブな発言が多くなっていきました。小さい頃【お父さんっ子】だった私は父が弱っていく姿を受け入れられず…弱音ばかり吐く父とどんな会話をすればいいのか悩み、近くに住んでいるのになかなか会いに行かず会ってもほんの少しだけ話をして帰る。ここ数年はそんな付き合い方に変化していきました。

 そして2022年1月1日、父は亡くなりました。前日までは話も出来ていたのに、あまりに突然でした。いろんな思い出がよみがえってきて、もっとたくさん話をすれば良かった、もっと一緒にいる時間を作れば良かったと後悔ばかりが残りました。私は溢れる思いを、本当は直接言いたかった事を手紙に書き棺に納める事にしました。直接言えなかったけどせめて気持ちが届く様に「父へ、、、、、」と。

 やはり自分の気持ちを伝えるには【言葉】が一番です。面と向かって相手の顔をしっかりと見て感謝の気持ちを伝えたり、時には怒ったりする事もあるかと思います。父の時みたく後悔しないように私はこれから先、自分の【思い】をしっかりと伝えられる様に生きていきます。 

第259号 睡眠の質

2022-07-31
第259号 睡眠の質

writer:小 林 照 宜

 今年の梅雨は記録的な短さでした。梅雨入りは平年よりも1週間遅く梅雨明けに関しては平年よりも3週間も早く梅雨が終わってしまいました。梅雨の期間は、なんと14日間のみ!観測史上初!の短さ!そして、梅雨が終わった途端!連日30度超えの日が続いてみたり雨の日が続いたりと、このまま不安定な日が続くと体調を崩してしまいます。私も今年『還暦』を迎えました。年を取るごとに体の衰えを感じ、特に夏場になると暑さで体力を奪われて夕方にはヘトヘトになります。今まで以上に健康に注意しなければと思っています。健康的な体を作り維持する為には【食べる・運動する・眠る】が重要です。『朝・昼・晩3度の食事を摂り、適度な運動をして、シッカリと眠る。』…簡単なようですが私もなかなかできていないのが現状です。【睡眠】で十分に休養がとれていない方が中高年で約3割もの多くの方がいるそうです。私も中高年、真っ只中!?(中高年は、40歳から定年退職後ぐらいの年齢と定められているようで、真っ只中というかギリ範囲内…)ですので気を付けていきたいと思います。…え~出来得る限り…

 

 家を新築した時に『整圧マットレス』(敷布団)を購入し使っていました。使い始めて16年も経ちそろそろ買い替えを考えていたのですが去年の11月に『ムートン敷パッド』を購入しました。ムートンとは羊毛の毛皮のことをいいます。肌ざわりがとても軟らかく1平方センチメートルに3000本あまりの毛が生えていて密度が高く、厚みのある毛並みは人が横になったときの体重を均一に受け止めてくれて体の血流をさまたげません。体重圧をしっかり分散させるので身体に負担がかからず医療用として病院のベッドの床ずれ防止にも使われています。実際にさわってみるとサラサラの中にシットリ感があります。表現の仕方がおかしいですが触った事の無い感触です。寝ていて寝返りを打つ時に体全体に均一に圧力がかかるのでスムーズに寝返りが打てます。ムートンを半年以上使ってみてビックリしたことがあります。私は時々夜中に足がケイレンして辛い思いをしていたのですがムートンにしてからはケイレンしなくなりました。足がつりそうになり目を覚ましてもムートンに足をマッサージするようにこすり付けていると痛みが治まってきます。血流が悪くなると毛細血管がつぶれて足がつりやすくなります。血流が良くなることでケイレンを回避することができるのです。これには本当に驚きました。おかげで毎日熟眠できるようになりました。

 『人生の3分の1は睡眠』といわれています。という事は、1日24時間を3で割ると8時間となります。人によって必要な睡眠時間は様々です。9時間以上寝ないと体調を崩す人や6時間未満でも大丈夫な人もいます。つまりは眠りで大切なのは【量より質】なのです。睡眠は人が生活をする上での基礎となります。基礎がしっかりしないと生活に色々な悪影響をおよぼします。仕事も同じです。基礎からしっかり積み重ねていかないと良い結果にはつながりません。睡眠不足では良い仕事はできません。集中力を持続しミス無く効率的に仕事をするために自分に合った睡眠時間を見つけ生活のリズムを整えて万全の体制で仕事ができるようにしましょう。

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