第286号 THE昭和!15の夜♪

2024-10-31
第286号 THE昭和!15の夜♪

writer:新 妻 吾 郎

   

 最近TV番組で『令和⇔昭和』と、韻を踏んでいるせいなのか?『平成』を飛ばしてフィーチャーされる事が多いように思える。それは当時、流行した楽曲はモチロンの事!『昭和あるある&昭和では当たり前』のような文化や様々な『昭和』という時代の様相が今の世代にショッキングでもあり、また面白いからであろう。そんなTVを観ると「あ!そうそう!懐かしぃ~♪」と思い出に浸る。さて今回は『THE昭和!15の夜♪』と題してみた。『15の夜』と聞けば『尾崎豊』さんをスグ!思い浮かべられる方は、間違いなく昭和生まれの方だろう。私も彼のデビュー当時、1983年12月1日にシングル『15の夜』とアルバム『十七歳の地図』にドンピシャに、どハマりして中高の教室の机に乗ってはモップをスタンドマイク代わりに熱唱したものである。…もう41年も前の話なんやなぁ…

 「盗ぅ~んだバイクで走り出す♪」というサビの、今で言う『キャッチ―』な歌詞は当時の若者の心を鷲掴みにした。間違いなく私もその一人である。しかし当時の私の移動手段と言えばバイク…と言っても『原動機付自転車』いわゆる『原付』だった。つまりは50㏄のスクーターバイクである。コレが来年の2025年『道路運送車両法』の改正により『新基準原付』となる。細かい改正は端折るが、簡単に言えば50㏄が無くなっていき125㏄が主流になるという事である。って、事は『二段階右折』もなくなるの?125㏄なら『2人乗り可能』なの?と憶測が飛ぶが、これは総排気量よりも最高出力(簡単に言うと馬力)の問題のようで、それぞれに細かい規定があって…面倒な話になって来るので~もう割愛する。

 尾崎豊さんがデビューされた1983年に時を戻そう。冒頭、お伝えした様に41年前の私は15歳だった。ご紹介した歌詞の様に「盗ぅ~んだバイクで走り出す♪」を、私は『地』で行っていた。つまりは「盗ぅ~んだバイクで走り出していたぁ♪」…である。もう41年も前だから…エエやろ、と勝手に判断。昔のスクーターバイクはとても【直結方法】が簡単だった。『直結』とは、つまり~鍵(キー)が無くてもエンジンをかけられる事であり…「盗ぅ~んだバイクで走り出す♪」事が簡単であり、しかも!ノーヘル(ヘルメットを被らない)でOKな時代であった。まさに【THE!昭和】である。当時…犯した私の罪は41年経った今よりも前から、海よりも深く反省している限りである…。

 さて、その当時!何故か千葉県なのに『東京~なんちゃら』なるモノが出来る!と噂が流れて来た。噂を聞いたら『百聞は一見に如かず』である。我ら精鋭?5~6名?は、まさに「盗ぅ~んだバイクで千葉まで走りぃ♪」出していた。モチロン『原チャリ』なので高速ではなく下道を時速60キロ!アクセル全開で凍てつく真冬の闇夜を駆け抜けて行ったのである。目的地に到着すると~ココが目的地なのか?というほど暗く、埋め立て途中なのか?…本当に合っているのかさえも分からなかった。単なる工事現場の一角を匍匐(ほふく)前進で入り込み足場が組まれた所を登って行き「ココでイイんだよね?」と確認し合うも誰も分からず…取り敢えず拳を夜空へ突き上げて「やったー!」と叫んだ瞬間!サーチライト(懐中電灯の大きいヤツ)を当てられて「ヤバい!」…また、そそくさと匍匐前進して帰って来たのである。暫くして、その千葉にある『東京~』のテーマパークは開園した。開園してチョットしてから正規なエントランスから当時1デーパスポート3,900円をちゃんと払って入園した。←当たり前。パーク内を少し歩くと…あれ?っと…見たことあるシルエットが目の前に。それは…【宇宙の山】だった。アレ…だったのかぁ~という『15の夜』だった。

 今や大阪にあるテーマパークと千葉にあるのに『東京~』はチケット代も高騰し続けファストパスも無くなり【世の中、金や!】と言わんばかりに、あれ?【夢の国】はドコ行っちゃったの?状態である。…さて『夢の国』を荒らした?私が言うのも、おこがましいが…『夢の国』を作られた偉大な偉人の名言に次の言葉がある。『ディズニーランドは永遠に完成しない。未完成である。何故ならば、この世界に想像力が残っている限り成長し続けるからだ』と。荒らしておいて、本当になんだが(大汗)…あやかりたい。

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