Archive for the ‘三和新聞’ Category

第309号 万物流転

2026-09-30
第309号 万物流転

writer:加 藤 憲 男

 
 定年退職まで1年強となった今昔の話を書きたいと思います。私が三和機工に入社した45年前は東京に本社があり専用機製造部と量産製造部がありました。当時は家庭用VTRが発売された頃でベータ方式とVHS方式のどちらが覇権を握るかと騒がれている時でした。そんな中、量産製造部はVTR部品加工を受注し「作れ!作れ!作れるだけ作れ!」と言われ24時間稼働で生産をしていました。そんな時代に入社した私は最初、専用機製造部の組立に配属されました。その後すぐに量産製造部の中にある特機課に移されました。これからの第3の柱を目指して業務用VTR等の多品種少量生産の部品加工をする部署でした。最初の仕事は当時1台だけのマシニングセンタのオペレータでした。そこで脱着の方法を教わり機械が加工をしている間は暇だろうからとNCプログラム作成の取扱説明書を渡され、これで勉強しろ!と言われました。THE昭和の時代ですね・・・

 工業高校出身なので実習でNCプログラムを作って加工したことがありましたが、ほぼ覚えていなかったので苦労しましたが実際のNCプログラムと取説を見ながら勉強しました。当時はマシニングがフルで動かすほどの仕事がなく手が空いている時は客先などに連れて行ってもらいました。翌年には豊橋工場が完成し量産部品の8割方は移設されました。当時、特機課として一緒に仕事をしていた人たちも豊橋工場立ち上げメンバーとして転勤していきました。そんな中、私はマシニングのオペレータから事務仕事へ移動となりNCプログラムの作成・加工治具の検討・納期管理の仕事をするようになりました。マシニングのオペレータには豊橋工場に行かなかった方が配属されてきました。

 当時40歳中頃の方で当時は何も感じませんでしたが今思うと19歳の小僧に仕事を教わるのはどういう気持ちだったのだろうかと考えてしまいます。仕事だからと割り切っていたのでしょうが、よく話を聞いてくれたものだと感謝しています。あと当時、言われたことで今でも忘れられないことがありマシニングのNCプログラムは作っていましたがNC旋盤のプログラムを作った事はありませんでした。そんな時、新規の仕事でNC旋盤のプログラムが必要となり私に作れ!と言われました。やったことがないので解らないと応えると、その方は「マシニングはXYZと3軸あるだろ!NC旋盤はXZと2軸しかないんだ!3軸が出来るんなら2軸も出来るだろ!」とワケのわからないこと言われ取説を見ながら作ることになりました。本当にTHE昭和です・・・ワケのわからない理不尽な事をいう人はいるものだなと思いました。しかし、おかげさまでその後NC旋盤のプログラムも作れるようになり良かったのかも知れません。数年が経ち『VTR戦争』もVHSの勝利が見えてきてベータ部品の加工をしていた量産製造部は、その後8mm・VHS・デジタルへと加工品種を変えていきました。新機種の立ち上げには手伝いに行きましたが直接かかわる事はありませんでした。

 その後ビデオテープの時代は終わりDVD・メモリカードの時代に移行し量産の部品加工は縮小していきました。東京でやっていた多品種小ロットの加工も徐々に減り切粉を出す仕事が減ってきました。リーマンショックなどもあり本社を豊橋に移転、東京の工場は閉鎖に決まりました。当時は義母の介護などもあったので豊橋には行けないと思っていましたが会社の方から在宅勤務で設計の仕事に移ってくれないかと話しがありました。正直、自前で使う治具の図面を書く事しかやった事がなく本格的な設計の仕事は経験が無かったのでどうするか迷いましたがこのまま続けることにしました。東京の工場が閉鎖になったあと1ヶ月ほど設計の基本を勉強するということで豊橋工場に行きました。当時、豊橋工場ではまだ2DCADを使用していました。東京では3DCADを主に使用していたので2DCADを覚えるだけで大変でした。

 時代の流れで3DCADになり、だいぶ仕事は楽になりました。しかし、まだ経験値が少ないので『引出し』があまりなく機械の構想・購入品の選定など迷うことばかりです。先があまりないので新しいことを覚えるのは若い人に任せ失敗をせず会社のために貢献できればいいかなと思っています。時代を振り返ると若いころは仕事はいくらでもある。金が欲しければ好きなだけ残業しろ!と言われ60時間くらいは毎月していました。今は残業をなるべくするなと言われ、どちらの時代がいいのかは分かりませんが【万物流転】変わってゆくのだなと実感しています。

第308号 僕はアイドル♪

2026-08-31
第308号 僕はアイドル♪
writer:鈴 木 昌 彦  
 今年の夏も猛暑続きで記録的な暑さに見舞われました。40°以上の酷暑日も観測史上最長記録となるなど、連日ニュースで報道されています。9月に入っても記録的な暑さが起きる頻度は増えていくと予想されます。昼夜を問わずエアコンを使用して、こまめに水分や塩分を補給するなどして熱中症対策に心掛けましょう。そんな暑さが収まらない中、2026年アジア大会が愛知・名古屋で行われます。地元の豊橋市からも『野球』『空手』『テコンドー』の3種目が実施される予定です。大会期間は9月19日(←私の誕生日)~10月4日(←息子の誕生日)までとなり32年ぶりの自国開催で行われる大会という事で日本人選手の活躍に期待しています。また選手のユニフォームには残暑を念頭に通気性を重視した素材を使用しており、熱中症にならないよう暑さ対策にも工夫が施されています。そして見どころの1つとして開会式と閉会式のセレモニーがあります。偶然にも私と息子の誕生日が重なりました!我が家にとっても特別な記念日となるため、選手たちと共にお祝いムードに浸りながらどんなサプライズがあるのか楽しみに待ちたいです。
 
 話は変わりますが昨年、我が家に孫が誕生しました。孫は元気な男の子としてスクスクと成長を続けています。先日、めでたく1歳の誕生日を迎え盛大に誕生日のお祝いをしました。日本では1歳の誕生日をお祝いする意味として、無事に1歳の誕生日を迎えられたという事でこれからも無事に健康に育ってほしいという願いが込められたとても大切な行事です。その中には、一升餅を背負わせて『一生食べるものに困らないように』という願いを込めて行うものと『将来の職業や才能について占う』選び取りというものがあります。今回は、その2つを行いました。まずは一升餅が背負えるかです。重さ約2kgの一升餅が入ったリュックを背負わせて無事に立っていられたら成功です。ママが慎重に手を添えながら、ゆっくり背負わせました。重みに耐えきれずよろめきましたが【見事成功!】不安そうで涙目になりながら助けを求めているところがとても可愛らしかったです。続いて選び取りです。いろんな方法がありますが、カードで選び取りを行いました。孫の前に将来を象徴する7種類のカードを等間隔に並べて少し離れた場所からハイハイで近づけて自由に1つ選ばせます。何を選ぶか興味深く見守っていましたが、緊張のあまりなかなかカードへとたどり着きません。仕方なく家族全員のサポートで誘導した結果【ボール】の絵柄を選びました。こちらのカードは、健康で活発な子に育ち運動神経抜群なスポーツ選手になれるという意味が込められています。自分が野球好きなのでプロ野球選手になってほしいと願います。さらにはメジャーで活躍している大谷選手のように二刀流になれたらいいなあと夢は膨らみます。終始和やかな雰囲気の中、とても楽しい誕生日会を過ごすことが出来ました。
 
 いつしか孫は、よく我が家に遊びに来ます。とにかく!いたずらをして遊ぶのが大好きです。いくつか紹介しますと、玄関に置いてあるスリッパは全部投げ捨てられます。そしてハイハイでリビングへと向かいテレビラックのワンプッシュ開閉扉を軽々と開けて中身を全て取出し、投げ捨てます。これまでに被害にあったものとして、リモコン・DVD・スマートフォン・食料品、等々です。また指先も器用です。リモコンのボタンを押して電源を切ります。充電中のものがあるとコンセントを勝手に抜いてしまいます。食料品は中身をつぶし破壊します。至る所で物を投げ捨て放置するか破壊します。このように想像を絶する孫との激しいバトルをしてきましたが、全ては手に届くところに置いてあった事が原因です。大事なものは高いところへ置くか見えないところに収納する。扉にはチャイルドロックなどの対策をしました。そして最近では、つかまり立ちで歩けるようになり行動範囲も広くなりました。そこで歩行練習も兼ねて『押し車』と『靴』を購入しました。とても気に入ったらしく来る日も来る日も練習を積み重ねました。すると、2週間後には普通に歩けるようになりました。小さな足が頼りなく感じますがしっかりと歩いています。あまりの成長スピードに驚いていますが、人類の進化を見ているようで将来が非常に楽しみです。
 
 そして孫が遊びに来る前には、必ず家の掃除をします。そこで気付くのが【5S】の大切さです。我々の仕事場においても、汚れた作業場では効率が悪くなります。また床に物があると転んだりしてとても危険です。火気使用時にはそれが原因で火災が発生し、重大災害へと繋がる恐れもあります。常に清潔感を保ちながら安全作業を行いたいものです。朝礼唱和にあります【自ら徹底!安全確認!】【思いたったら即行動!】で今日も一日ご安全に行きましょう。

第307号 人生の折り返し地点

2026-07-31
第307号 人生の折り返し地点

writer:鈴 木 嘉 孝

 1975年に生まれ、豊橋市で育った。『人生100年時代』といわれる今、50代という人生の折り返し地点を過ぎたところで迎えているのは【AI社会】の幕開けだ。激変する時代を前にして、自分の人生を思い返しながら考えてみよう。子どもの頃の休日には駅前でよく遊んだ。路面電車が象徴的で子供ながらにそれを誇りに感じていたように思う。西武百貨店やダイエーデパート、ゲームセンターに映画館。あの時代、周りにあるテクノロジーといえば、アナログテレビにリモコンが付いた事ぐらいだった。

  カセットテープにお気に入りの曲を録音して、友達と完成度の高いアルバム作りを競い合っていた。高校生になった頃には液晶付きポケットベルが登場し、卒業する頃には携帯電話がデジタル化して誰もが持つものとなっていった。続いてインターネットが社会に浸透し、スマートフォンが普及した頃から世の中が急速に変化してきているように感じる。【情報社会】という言葉があるが、皆さんもこんなことを感じたことは無いだろうか。旅行で初めての場所に行く時にインターネットで情報を集めて計画を立てて出掛けると、現地の画像や動画を事前に確認がてら見てしまっているため、現地に到着しても初めて感が薄れるというか、前にも来たことがあったような変な気持ちになったり感動が薄れたりする事が・・・。

 私は先日、友人と姫路までバイクでツーリングに出掛けた時には、もうひとつ感じたことがある。姫路の街並みも豊橋の街並みも同じ様なコンビニエンスストアや某大手ショッピングモールが並んでいて面白みに欠ける。せっかくここまで来たのだからもう少し違う景観を楽しみたいところだったが、時代と共に企業の経営統合が増えて全国どこに行っても同じような店が立ち並ぶようになってしまったことは非情に残念に思う。目的地を姫路に設定した理由のひとつには『資(すけ)さんうどん』という北九州発祥ソウルフードのローカルチェーンを訪れてみたかったという事がある。近年、全国展開を始めたばかりで去年、姫路にもオープンしたばかりだ。それを食べられたことは嬉しかったのだが、来年には愛知県にも数店舗、展開することが最近になって発表された。嬉しいような…複雑な心境である。このように便利な世の中になるにつれ、失われていく何かがあるように思う。そこでしか味わえない何か、そこでしか見られない景色、全く無くなったわけではないが、そういったことに出会う機会はかなり減っているのではないかと思う。

 そんなこんなでAIの普及が始まり、最近では二足歩行ロボットもかなり精巧なものとなってきた。こんな時代を生き抜くためと言う訳ではないが、私も生成AIを使って画像生成や動画生成をやってみた。初めは面白くて夢中になって生成したが、正直言ってスグに飽きてしまったので次は楽曲の生成もやってみた。大好きなヘヴィーメタルの曲からバラード曲まで簡単に作ることが出来た。しかし、これにもスグに飽きてしまった。恐らく簡単すぎるのが飽きる原因なのだろうと思った。苦労して作るからこそ出来た時の達成感や感動があるのであって、失敗したりするから次なる探求心が芽生えて飽きることもないのだろう。今後、人間自身が行動をロボットに任せるようになったとき、人の感情はどこに行ってしまうのだろうか。

 自ら行動しないで何を誇りに生きて行けばいいのか。デジタルネイティブな若い世代からすると何を言っているのだと思われるかもしれないが…昭和に生まれ、親父のゲンコツや学校の先生のハリピンに恐れを抱きながら【アナログ社会】を泥臭く成長してきた私からすると【AI社会】というのはなんだか余り歓迎できない。不便な時代のほうが、その分生き甲斐も強く感じていたように思う。さて、人生の折り返し地点でこのような時代を迎え、どのように残りの人生を生き抜こうか。AIは依存しない程度に上手に使いこなし、人との繋がりを大切にしていこう。バイクにも乗り続けたいので適度に運動して健康管理もしていこう。自ら考えて目標を立て、それに向かって真っすぐに誠実に。決められたレールの上を日々、ただひたすらに走り続ける…子どもの頃誇りに感じた、あの路面電車の様に。。

第306号 積み重ね

2026-06-30
第306号 積み重ね

writer:渡 邉 啓 史

 先月からサッカーワールドカップやバレーボールネーションズリーグが始まり、日本代表の活躍が続いています。また9月にはアジア大会も地元愛知で開催されることもあり大変楽しみにしています。かつては「海外には勝てないだろう」と思っていた時期もありましたが、近年の日本チームは本当に強くなりました。海外で【経験を積んだ】選手たちが堂々と戦い、世界の舞台で互角以上に渡り合う姿を見ると、こちらまで胸が熱くなります。さまざまなスポーツの世界で日本が世界一になる瞬間を、これからも応援し見届けたいと思います。

  そして観戦するだけでなく、私自身も身体を動かすことが好きで日々さまざまなスポーツで汗(時々アルコール)を流しています。朝起きると筋肉痛や筋、膝の痛みが“セット”のようについてきます。周囲から「そろそろ年齢に合わせた運動量にしたら?」と言われますが・・・身体が動くうちは動かしておきたい、そんな気持ちが強いのかもしれません。そんな私ですが、今年4月に人生初の『ウルトラマラソン(73km)』に挑戦しました。エントリー開始は昨年11月から始まり、どうしようか迷っていたところにO課長とラン友のお客様からのお誘い、そして地元・田原市開催という魅力が重なり勢いでエントリーしました。

 「大会まで時間はあるし、しっかり練習すれば大丈夫だろう」と思っていたのですが・・・そう甘くありませんでした。エントリー直後、ソフトバレーの大会で膝をひねるという痛恨のアクシデント。走ると激痛が走り、まさかの“膝との長期戦”が始まりました。2ヶ月経っても痛みが引かず整形外科でCTとレントゲンを撮ると「内出血しているので安静に」との診断。走る事が出来なくてもソフトバレーやインディアカは出来たので騙しだましやっていたのが長引いてしまった要因でした。2月になってようやく走り始めましたが、痛みで練習は思うようにできず、月間走行距離は80km。3月は何とか100km走りましたが、「月100kmが限界の人間が、1日で73km走れるのか?」と自分でもツッコミたくなる状況で、スタート前から不安しかありませんでした。制限時間は12時間、距離で関門が設けられており関門時間に辿りつかなければ、そこでリタイヤとなります。コースは『サンテパルクたはら』をスタートし太平洋ロングビーチを走り田原市で一番標高の高い(約330m)大山の頂上まで登りその後、伊良湖岬先端までで約40km、後はひたすら三河湾の堤防沿いを走り、サンテパルクまで戻ってきます。

 朝7時にスタートし最初の難関『大山』まではラン友さん達としゃべりながら順調に進みましたが大山登山がかなりきつく、脚が攣(つ)りそうになりながらも何とか走破する事ができました。そんなレースの中でも楽しみなのがエイド(給水・給食所)です。この大会はエイドがかなり充実していて、大葉焼きそば・あさり汁・あおさ味噌汁・シラスおにぎり・漬物・いちごなど地元の魅力が詰まった“補給食”が提供されます。エイド毎に違う補給食が準備されているので、次のエイドを楽しみに進む事ができました。

 しかし、ここからは練習不足もあり大山で脚を使いきった私は、太平洋の変わらない景色が延々と続く40~65km間は何度も心が折れかけました。「自分は何のために走っているのか・・・?」と自問自答を繰り返す時間が続きました。それでも、ウルトラ経験者のラン友が並走してくれたおかげで、諦めずに前へ進むことができました。そしてついにゴール。目標は完走だったので11時間動き続けゴール出来た達成感は格別で言葉では言い表せないほどの充実感がありました。よく「なんでお金払って苦しい思いを?」とか「意味が解らない」と言われますが、正にその通りと自分でも思いますが・・・ゴールした時の達成感や満足感と今まで積み重ねてきた練習が報われる瞬間が続けている理由だと思います。今後も積み重ねてきた走力の維持と、さらなる上を目指していきたいと思います。

 基礎を学び、経験を積み、継続することで力になる。日々の積み重ねを大事に一歩一歩ゴールに向けて進んで行きましょう!マラソンや練習している時は自分自身と向き合う時間でもあります。苦しい時にどう踏ん張るか、どう気持ちを切り替えるか。そうした経験は、仕事の場面でも必ず活きてくると感じています。これからも挑戦する気持ちを忘れず、日々の【積み重ね】を大切にしていきたいと思います。

第305号 忘られぬ言葉

2026-05-31
第305号 忘られぬ言葉

writer:新 妻 吾 郎

 あれは3年前だっただろうか?私の後頭部の毛量がチョット少なくなってきたなぁ〜と気にし始めた頃の話である。気には留めているのだが風呂に入って髪を洗って、そのまま髪を乾かす事もなく放置して自然乾燥をさせていた時!それを見ていたカミさんが放った一言が、胸にズドンッ!と突き刺さった。それは「髪を洗ってスグに乾かさないと・・・頭皮にカビが生えて、余計にハゲるよ!」・・・この言葉を聞いた瞬間から髪を洗ったらスグ!ドライヤーで乾かす自分が誕生した。この様に人に言われて【忘られぬ言葉】は皆さん、何かしら胸中にお持ちだと思う。私にも沢山の『言葉』があるが、今回は厳粛に?絞りに絞った言葉を書き綴っていこうと思う。

  私が小学校3年生の頃だろうか。先代は柔道家で、半強制的に柔道をさせられた。中央線の水道橋駅で降りて東京ドーム(当時は後楽園球場)を越えてトコトコ歩いていると柔道家であり、教育家でもある嘉納治五郎先生が興(おこ)した柔道の総本山『講道館』がある。その門を叩いたというか、叩かされた。武道をされた方なら分ると思うが、柔道着は臭い・・・剣道の小手も臭い、空手着もボクシンググローブも・・・もう、いいか。私は犬のような嗅覚を持っているので~尚更、ツラい。だが、先代は言った。「俺も初めはクセェ~な!と思ったが、だんだんイイ匂いになって好きになっていくんだよ。」←本当かよ!と、ツッコミたかったが、先代は圧倒的な威圧存在だったので口ごたえなんかしたら、フツーの家庭は殴られる・蹴られる・引っぱたかれる時代にウチは投げられて・絞められて(寝技)・落とされていた(失神)。

 柔道を習って1年が過ぎようとした頃、柔道大会があり出場・・・させられた。場所はドコだったか忘れたが講道館ではなかった。そして大会当日、満員の会場の雰囲気に私は完全に吞まれてしまった。「はじめ!」と主審の声にビクっとして、もう頭の中は~ココはドコ?私は誰?状態である。対戦相手は確か私より背格好が小さい子だったと思う。ドドドォ~っと詰め寄られてストーン!と投げられた。「場外!」主審の声と共に赤い標識の外に私はぶん投げられていたのでノーカウント。試合会場の周りには柔道着を着た子供たちが、ひしめき合っていて「よ!新妻選手!弱いよ!弱いよぉ~!」と、ヤジも飛ばされたが頭の中は呆然としたままで・・・中央に戻って「はじめ!」の声がかかった2秒後か?スッと懐に入られてストーンと、また投げられた。「一本!」・・・もう、何が起こったのか分からなかった・・・。そんな中、鬼の形相で試合を観ていた先代が「チッ!情けねぇ野郎だ!2回も綺麗に投げられやがって!お前は試合をする前に!自分に負けてるんだよ!自分に負けてるヤツが人様に勝てるか!もう柔道なんか辞めちまえ!」・・・THE 昭和の父親であり、歯に衣着せぬ言いっぷりに試合後もコテンパンにやられた気分だった。その2日後だっただろうか私は柔道着を脱ぎ捨て、空手着に着替え自ら空手道場の門を叩いた・・・

 三和機工に29歳の時に入社した。当時は毎日、営業に行っていた。当初から社長の息子というレッテルを貼られていたので社内外でも色々な事を言われた。外では「お父さんに頼んで半額にしてもらえんか?」と。私は「はじめてのおつかいじゃないんですから~勘弁して下さいよぉ~! 倍にしますよ♪」と、ニコッと笑った。そして、社内も色々あったが、まぁ~ここは端折ろう。ただ社内に当時、イヤな空気感はあった。それはトップとボトムは同じベクトルを向いているのに中間層が妙なクッション材みたいに妨げているような・・・三和に入ると決めた以上!より良い方向へ目指したいと、あらゆる策を講じた。そして当時は東京本社と豊橋工場で分かれていた為あまり先代と話す機会も無かったが、何を聞きつけたのか?東京へ来い!と呼ばれた事があった。

 東京で先代と2人だけで酒も吞まずに会社の話をしたのは、あれが最初で最後だった。私は三和の良いところ・悪いところ・進めていく方向・やめた方が良いと思う事、等々・・・当時、私が考えられる頭の中で考えられる限りの言葉を先代にぶつけた。先代は暫く黙っていた。長い沈黙の中、何分が過ぎたのだろうと、息苦しい静寂を破った先代の言葉は「吾郎、、、お前はスゲーな・・・」私は、この言葉で今日も生きている。

第304号 ブラッシュアップライフ

2026-04-30
第304号 ブラッシュアップライフ

writer:杉 浦 秀 幸

 2025年8月、私にとって初めての孫が誕生しました。娘夫婦にとっても初めての育児であり、私にとっても新しい家族の物語が始まった瞬間でした。娘は1年間の育児休暇を取得し、娘婿も半年間育児休暇を取得して育児に専念しました。私の若い頃には、男性が育児休暇を取るという発想すらありませんでしたから時代の変化を強く感じます。当時の私は「自分なりに育児を手伝っていた」と思っていました。しかし妻に聞くと「そんなに協力的ではなかった」とあっさり言われてしまいました。自分ではやっていたつもりでも、相手の感じ方はまったく違うものだと痛感しました。今思えば、もっと家族に寄り添う姿勢が必要だったのかもしれません

  そんな折、娘夫婦が新しい家を建てることになり、2025年11月から解体工事が始まったため、しばらくの間は我が家で一緒に暮らすことになりました。おかげで孫の成長を毎日、間近で見ることができています。最近はよく笑ってくれるようになり、その笑顔がとても可愛くて思わずギュッと抱きしめたくなります。泣き声の変化、表情の豊かさ、お座りができた瞬間、そのひとつひとつが懐かしく、忘れかけていた娘を育てた頃の記憶がよみがえってきます。私もお風呂にいれたり、寝かしつけを行ったりしていますのでまるで自分がもう一度育児をやり直しているような気持ちになります。孫の誕生は家族が増えるということの尊さと、その時間を共にできる幸せを改めて感じています。

 そんな日々の中で、私の心に強く残っている番組があります。娘が有料動画配信サービスで観ていた安藤サクラさん主演の【ブラッシュアップライフ】というドラマです。2023年に地上波で放送され、主人公が人生を何度もやり直し、徳を積みながらより良い人生を目指すという物語でした。コミカルでありながら深いテーマを持ち、私も思わず引き込まれました。この番組を観ているうちに「今の自分もまるで人生をもう一度やり直しているようだ」と感じるようになりました。孫と過ごす時間は若い頃の育児を振り返り、当時できなかったことをもう一度学び直す機会になっています。まさに『ブラッシュアップ』という言葉がぴったりで、今回の記事のテーマにしようと思ったきっかけでもあります。

 特に驚かされるのは、娘婿の育児への積極性です。おむつ替えも、寝かしつけも、家事も楽しそうにこなしています。私が若い頃には想像もできなかった姿であり、同時に「自分はここまで育児に関われていなかった」と気づかされる毎日です。家族のために自然と動ける姿勢は見ていて気持ちが良いものです。

 孫と過ごす時間は、私にとって【自分磨き】の時間でもあります。家族への思いやりとは何か。相手の立場に立つとはどういうことか。自分の価値観に固執せず、柔軟に変わっていくことの大切さ。これらを孫と娘夫婦が毎日教えてくれています。そして、この気づきは家庭だけでなく仕事にもつながっています。私たちの職場では品質管理において「相手の立場に立つこと」「コミュニケーションの質の向上」が欠かせません。また、娘婿のように「自分から動く姿勢」は職場でも重要です。誰かがやるだろうではなく、気づいたらまず自分が動く。育児も仕事も自ら考え行動することで結果が大きく変わります。若い世代の働き方や価値観に触れることで、私自身の考え方もアップデートされているように思います。

 孫が大きくなる頃、私はどんな祖父でいたいのか。娘夫婦にとって頼れる存在でありたいし、妻に対しても「昔より成長したね」と言ってもらえるような自分でありたい。そして職場でも、時代の変化に対応しながら、常に自分をブラッシュアップしていける存在でありたい。人生は何歳からでもブラッシュアップできる。孫の誕生はそのことを私に気づかせてくれました。これからも家族とともに成長し、より良い自分を目指していきたいと思います。

第303号 コツコツと

2026-03-31
第303号 コツコツと

writer:太 田 敏 浩

 いよいよ東三河の水瓶である宇連(うれ)ダムの貯水率が0%になり、一般生活や産業への影響が本格化してきそうです。30年程前にも宇連ダムが枯渇して友人とダムの底を見に行ったことを思い出しますが、記憶の中ではそれ以来の大渇水ではないでしょうか。自治体からの節水要請も高まる中、今月の水道料金を確認すると金額がいつもより少なくなっていました。手探りの節水への【コツコツ】とした積み重ねが数字として表れると達成感を実感できます。この渇水状態は予報では梅雨入りまで長引きそうなので引き続き節水生活を心がけたいと思います。

  さて、ここからは相変わらずのランニングにまつわるお話です。節水生活の結果が水道料金に表れる様にランナーの走力もVO2 maxという数字で表されます。この数字が大きい程、優れたランナーということになります。一流ランナーの値は60を超えますが私の値は43。最高で50あったVO2maxは昨年の足の怪我以来、ランニングのモチベーションの低下に比例して下がる一方です。VO2maxの値によってレースの予測タイムも高い精度で出るので練習の成果が丸見えです。現在は予測タイムの悪化が著しいです。(とほほ)

 そんな『へなちょこランナー』な私ですが、今年も『にしおマラソン』に参加してきました。昨年の怪我が完治せず練習不足で参加しているので、20キロ以降は毎度ながらの足の痛みとの我慢大会です。痛みとの付き合い方も慣れてきて、もはや何の為のマラソン大会への参加なのか?と自問自答しながら迎えた35キロ過ぎで目を疑う光景が!タスキ掛けしたランナーに追い抜かれたのですが、そのタスキには【今日は76歳の誕生日】と書かれていたのです!数え年で77歳の『喜寿ランナーさん』でしょうか。後ろ姿は年齢を感じさせない安定した走りです。休憩中のタイミングで再び前に出ましたが『にしおマラソン名物』の激坂を越えて下り坂をしばらく走ってから力尽きて歩いていると、残り2キロのあたりで再び抜き返されました。相変わらずの安定したペースで走っています。ここまで40キロをずっと安定したペースで【コツコツ】と走ってきたのでしょう。日頃から練習を重ねて今日の日を迎えたんだろうなと想像すると感動して目頭が熱くなりました。

 「頑張ってください!」と声を掛けたいところですが「お前が頑張れよ!!」と言われそうな状況で声も掛けられず、ラストスパートの力をもらってラスト1キロを今日一番のタイムで駆け抜けてゴールしました。昨年は豊橋駅から駐車場までは自力で歩くことが出来ず、駅員さんに車いすで運んでもらうという情けない結末になった『にしおマラソン』ですが、今回は自力で帰宅して昨年のリベンジを達成しました。(何か目標が違う気がしますが・・・)

 やはりマラソンをゴールまで走り切るには脚力が必要です。脚力を鍛えるにはトレイルランニングが近道でしょうということで愛知県民の森の登山道の周回コースを走る『ダモンデトレイル』にW部長と参加してきました。ペアで一周8.3キロのコースを走るタイムトライアルです。50歳以上のマスターズ部門にお客様のラン友さんと参加してタイムを競いました。スタート時は先行を許したものの途中合流して「同時にゴールしますか!」と牽制し合いながら和気あいあいとゴールを目指しました。最後の下りで痛恨のねん挫をしてしまいましたが、なんとか走り切り無事同時ゴール!したつもりが1秒差で部門優勝してしまいました!会社の営業的には失敗ですが、やはり表彰されるのは嬉しいものですね♪しかし、ねん挫が思ったより重傷で右膝と合わせて2ヶ所の故障に増える始末。結局、練習不足のまま『穂の国マラソン』に参加して結果は散々でした。

 この一年【コツコツ】せずに近道を探して失敗してきたように思います。節水生活同様に今一度、目標を達成するには長期間の努力と積み重ねによって達成されるということを胸に刻みたいと思います。効率を重視される昨今ですが仕事もランニングも【コツコツと】を基本に怪我や失敗をしないように心がけながら新しいことにも挑戦していきたいです。そして年を取った時に【昔は走ってた】というより【今も走ってる】ランナーになりたいです!

第302号 梅田ンジョン♪

2026-02-28
第302号 梅田ンジョン♪

writer:菅 沼 稔

 昨年の3月から、お取引様へ出向のため大阪で単身赴任となってから早いもので1年が過ぎようとしています。生活環境も仕事のリズムも大きく変わりました。最初は慣れない土地での単身生活に戸惑いもありましたが、ようやく生活のリズムが出来て慣れてきたように思います。大坂といえば昨年は『関西万博』で盛り上がっていたのが記憶に新しいですが私もせっかくなので足を運んできました。人気パビリオンは軒並み長蛇の列でお目当てのパビリオンは殆んど見られませんでしたが会場の熱気と活気はさすが万博!世界中から人が集まり、お祭りのような雰囲気で思った以上に楽しめました。

  さて、そんな中で最近では週末の楽しみとしてすっかり定着したのが梅田地下街での【昼飲み】です。大阪への出張帰りに梅田地下街での飲みは数回程度の経験はありましたが昼から飲むなど年に数回の贅沢行為です。家族の目が無いことを良いことに目的もなく地下街の散策を楽しんでいます。ご存じの方も多いと思いますが、梅田の地下街は【ダンジョン】(本来は城や要塞にある地下牢獄を指すが、梅田は大阪の7つの駅を結ぶ日本一複雑と云われ、その総面積は約8万平方メートルと日本最大級!)と呼ばれるほど複雑怪奇。初めて訪れた際には地図アプリを片手に店を物色するのですが目星をつけておいた店に戻れなくなることもしばしば・・・RPG(ロールプレイングゲーム)さながらの迷宮体験を味わえます。そんな『ダンジョン』の中でも私が特に足繁く通うのが『ホワイティ梅田』や『大阪第1〜第4ビル』の地下飲み屋街。店員さんの威勢のいい関西弁の呼び込みが飛び交い人気店では昼間にも拘わらずカナリの賑わいです。昼間は『ハッピーアワー』なるお酒を割引価格で提供するサービスタイムをしている店も多い為かなり割安でお酒が飲めるのです。(最高かよ♪)また、話は少し変わりますが大阪に来て感じたのは歩く速さです。職場へは徒歩で通勤していますが毎日3人くらいに抜かされます。その中には女性もいます。私の歩く速度はそれほど遅くないと思っているのですが、やっぱり大阪人はせっかちなのでしょうか?

 さて地下街の話に戻りますが、初めはYou Tubeで調べた人気のお寿司屋さんに行きました。開店前から長蛇の列でしたが週末の暇を持て余している私は迷わず並んで目的の名物メニューを頂きました。さすが人気店です!何を食べても美味しくて安い!しかし地下街初心者の私はペース配分を間違えます。旨い肴にお酒が進みビールから始まり焼酎、ハイボール、日本酒のフルコースですっかり出来上がってしまいました。ハシゴ酒をするつもりが一軒目で既に満腹となり、その日は帰路についたのですが酔いもあってドコを歩いているのか分からなくなってしまい・・・帰りの駅&トイレ難民となって大変でした。(笑)

 その教訓から、まずは地理を覚えようと地下街を歩き倒しました。特に『大阪第1〜第4ビル』は地下1階、2階もあるのでかなりの距離になります。万歩計では毎回15,000歩を超える数値が記録され距離にして10km以上になります!飲んだお酒もチャラですね・・・♪そして一軒の店では1~2杯の注文!と決めることでハシゴ酒を楽しめるようになりました。各店の名物料理は写真を撮ってコメントと共に家族LINEにUPしていたのですが、初めの頃は誰かしらが「美味しそう~!」「安いな~!」「いいね♪」などの返信が有ったのですが最近では、ほぼ既読スルー状態です・・・(泣)息子曰く「キモイで無事にアパートに帰った生存連絡のLINEだけにしてくれ!」だそうです。(多少は心配してくれているのね・・・)と勝手に前向きに捉えつつ、今後も投稿は止めません♪

 気づけば、大阪生活にもずいぶん順応してきたかと思います。仕事においてもその職場ならではの思想や仕事の進め方を吸収して、単身赴任を終えて戻る頃には何かしら社内に持ち帰られるよう日々精進してまいります。

第301号 トイレがあれば!何でもできる!

2026-01-31
第301号 トイレがあれば!何でもできる!

writer:杉 山 典 子

 あれは2024年5月3日!・・・だいぶ前の事ですが、本宮山に登りました!皆さんは本宮山に登った事ありますか?キッカケは近所の『鍼灸接骨院』でした。ここの【H君(院長)】は私の大親友のいとこでして、予約なしで朝8時30分から開いているので思い立ったらスグ!行けます。しかも!腕も良く私の妹の『育ちゃん』は体の不調を感じると駆け込み寺の如く!即H君に体調を整えてもらっています。H君は陽気でお酒好き(かなりの酒豪)で、山登りやマラソンが大好きで『RUN RUN CLUB -ランランクラブ-』なるものを勝手に立上げ、色々な県のマラソン大会に出たりしています。そして色んな方々に「一緒にマラソンやらないかぁい!」って、いつも誰か誘っていて・・・数年前に私も誘われた事があるのですが運動が苦手で特に走る事は一番嫌いなので、私はお断りしていました・・・

  本宮山に登ることになった経緯ですが、妹の育ちゃんが3月頃に肩こりがひどくなったので鍼灸院へ行きました。治療している時にH君が「育ちゃんも、のんちゃん(私の愛称)も、運動した方がいいから今度、本宮山にでも登る?」と話しかけられたそうです。妹は社交辞令的のつもりの軽いノリで「いいですねぇ~♪」とだけ答えて、治療を終えて帰ってきました。その数日後、恐ろしいことに私の友人から『H君から育ちゃんが本宮山に登りたいって言っていたから日にち決めよう!5月3日でいい?』ってLINEが来たと…。妹は「登りたいなんて一言も言ってない!」と、とても驚いていました。その話を聞いた同級生などが「登ってみたい!」と盛り上がり、結果的に本宮山に10人程で登ることが決定してしまいました。

 調べてみると本宮山は東三河で最も高い山で、標高789mの別名『三河富士』と云われていて手軽な?登山スポットなのだそうです。ただ私には【大きな不安】がひとつあって・・・精神的にトイレが近くて、トイレが無いと30分程で無性に行きたくなる衝動に駆られるのです。調べたら山頂にはトイレがあるとのこと。でも、山頂までは健脚な人で1時間半ほどかかると聞いて思わず我慢していけるか不安で冷汗が出ましたが、まぁ山頂に行けばトイレがあると聞いて何としてでもいち早く山頂に到着出来るようにトレーニングをすることにしました。毎週日曜の朝7時から1時間ちょっとの距離を歩くことに決めて、登山靴も持っていないので登山用品専門店のモンベルに行き、定員さんに選んでもらってその靴で歩きました。YouTubeで『丹田(たんでん)歩き』を調べて、丹田歩きとは(へそから指3〜4本下のあたり)を意識して締めることで、上半身の安定性を保ち無理なく体を前へ進めることが出来る!この歩き方を実践して裏山を歩き、スクワット的な運動や登頂2日前に山登りの足の筋肉を鍛える運動で、かかとを上下に上げ下げするふくらはぎのトレーニングとアキレス腱伸ばし、当日の歩幅は狭く!ちょこちょこ早く歩き下りは前傾姿勢でその方が滑らない!と、社長は富士山に8回登頂されていて山登りのコツを教えてくれて頼りになりました。最終このトレーニングをめちゃくちゃやりまくり一応、自分ではやる事をやって当日を迎えいざ山頂へ、スタートは妹としました。

 鳥居をくぐって登るコースから山に入りました。ここから私の目標は、山頂のトイレです。どんどん歩みを進め、頭では『丹田!丹田!』と意識して、社長に教えて頂いたちょこちょこ早歩きを実践して、結構急な岩を登り石段を登り、途中水分補給しながら山頂のトイレを目標に一心不乱で歩いて、気が付いた時には途中ペースの落ちた妹が見えなくなっていて、でも待っていてはトイレに行けないので、そこから妹の事は忘れてドンドン歩いて行きました。一人で歩いていたので、途中『どっちに行けばいいの?』って所がありましたが近くにいた人に聞いて適当に登りました。「1丁目から出発して50丁目がゴールだよ!」って途中知らない人に聞いて、聞いたところが30丁目で半分ちょっと来たけど『まだまだだなぁ~』と、心が折れそうでしたがトイレは山頂なので行くしかない!力を振り絞り、最後の50丁目はなんと!階段でした。ヘトヘトになっていて階段がもの凄く高く感じましたが山頂に1時間40分程で到着出来ました!達成感で登山やマラソンにハマるW部長の気持ちが少し分かりました。友人に「まさか一緒にスタートした妹を置き去りにして行ってしまうなんて驚いた!」って言われてしまいましたが、山頂の空はとても清々しくきれいでした。でも、登るより下山の方がなんだか大変でした。社長のアドバイスも忘れて、下りは怖くて足に変な力も入って膝が痛くなり、トイレを目標にしてなかったのでたぶん登りの2倍以上の時間がかかったと思います!

 目標を持つってすごいエネルギーになりますね!なんとか命からがら下山できました。このことがあって、今も日曜7時に裏山を隣のおばちゃんと妹と三人で歩いています。本当に目標があるってとても素晴らしいですね。運動するっていいですね。低い山ならまた登れるかもって思える進歩がありました。もし皆さんも「ちょっと動いてみようかな?」と思ったら、ぜひトイレを目指して本宮山山頂へいかがですか?違う世界が見えますよ。さぁ~皆さん!本宮山へLet’sらgo!←昭和です…(汗)

第300号 犬好き2

2026-01-01
第300号 犬好き2

writer:新 妻 吾 郎

 明けまして!御目出度うございます!本年も宜しくお願い申し上げます。さて・・・お正月である。また、お正月である。アッという間に1年が過ぎてぇ~もう、お正月。この時間の経過が早く感じるのは【ときめき】が無くなったから!だそうで…以前の三和新聞で書いたか?どうかも忘れてしまったが←ボケじじい化!驀進中!(ばくしんちゅう)若かりし時分は『ときめき』がいっぱいで、恋をしてドキドキして~楽しいイベント事が早く来ないかなぁ~♪と、ときめいて待ち侘びて・・・新鮮な経験や情熱的な感動や濃厚な時間が過ぎる事が『ゆっくり』と感じるそうで…この歳ともなると、過ぎ去る日々が【単調】になる事が大きな要因なようで『体感時間が短く感じる』らしい。しかし!【継続は力なり】で、この三和新聞も今回で第300回号となりました♪振り返れば、やはりアッという間のような気もするが…今年は!また『ときめき』を持って、今一度!邁進(まいしん)したい所存である。

  2000年の3月に私は社長を就任し(当時31歳)そして、その年の12月から!この【三和新聞】を立ち上げた。第1回目のタイトルは『犬好き』であった。読み返すと稚拙な文章だなぁ~と←今も稚拙じゃねぇ~か!…ということで~第300回の今回は『犬好き2』である。今年の干支は午年(うま)ですが、挿絵は犬…戌年(いぬ)と間違えたワケではない、ことは分って頂けると思うのですが~私の人生の中で3匹の犬との出会いがあり、別れがあって…。犬は『ペット』と括られるが、もはや『家族』である。その哀しみは奥深く…もう犬は飼わない。家族にしない!と誓ってから早14年が経過し、今現在!私の子供たち3人は大の犬好きである。長女は今10才だが5才の頃から「ワンちゃんが欲しい!」と言い続け、私は「ダメ!」と言い続け。結果、3千円ぐらいのオモチャの犬を買い与え「お座り!」と言うとお座りするし「逆立ち!」と言うと逆立ちもした。リード(綱)も付いていて20種類ほどの動きをする優れモノのオモチャの犬に子供3人が奪い合い、引っ張り合いのケンカになるので~結果、同じオモチャが3個となった・・・。

 ある日、ママが休める『パパさんDAY』となり私が3人を連れて出掛けた。出掛け途中に両面テープが欲しかったので『ジャンボ〇チョー』へ立ち寄った。子供たちはホームセンターに来ると必ず犬猫コーナーへまっしぐら!テープを買って犬猫コーナーへ行くと3人がショーケースに居る一匹のワンちゃんに釘付けとなって立っていた。「どうした?可愛いワンちゃん居たのか?」と言いながら、子供たちの目線の先のワンコを見た瞬間!「ズキューン♪」と私も何かに撃たれた様な衝撃で動けなくなった。【奇跡の出逢い】って、やつなのか…あまりに動かない私たちに店員さんが「抱っこしますか?」と。(いや!もう抱っこしたら飼ってまうっ!)と思い「結構です」と…。子供たちも、あのワンちゃんが欲しい!飼いたい!と、だいぶスネたのだが・・・当初、予定の『のんほいパーク』へ。

  いつもならテンション爆上がりの~大好きなカバさん!ゾウさん!キリンさん!を見ても子供たちの頭の中は、あのワンちゃん。私も、同様。動物園でテンションの上がらない親子。その日はパパさんDAYの『パパSunday』だったのでママも一緒に夕食は外食へ。そこで誰からともなく、のんほいパークへ行ったのに~話題は『あのワンコ』に…あまりにも我々が熱弁するのでカミさんも「じゃあ~もう一度、行ってみる?それだけ言うなら、私も見たいし…」の一言に、いつもはダラダラと食べる我が子たちが(もう誰かに買われて居なくなっていたら!)と、猛烈なスピードで食べ始めて〜即!食べ終わり。夜の7時半に営業終了となる30分前に、なんとか駆けつけて犬猫コーナーへ走っていくとショーケースのロールカーテンが下ろされて見えなくなっている!私は「ココに居たワンちゃんは?」と店員さんに聞くと「チョットお待ち下さい」と。カーテンを開けて見せてくれるのかと思いきや!後ろから『あのワンちゃん』を持って来てくれて「はい、どうぞ♪」と、抱っこさせてくれた・・・いや、抱っこしてもぉ~た!これはもう飼ってまうっ!と思いつつ、横にいるカミさんに目をやるとカミさんもズキューン♪と撃たれていた。知っている方も多かれと思うが『ジャンボ〇チョー』さんは当時、閉店間近で・・・そのワンコも閉店セールで安かった。…命に安い高いは、ないが…安いに越したことはない。

  【コア】と名付けた。『KOA』とするとハワイ語で勇気・勇者の意であり、また英語の『CORE』とすると中核・核心となり家族の中心だなぁ~と…そのコアがウチに来た初日!テーブルの下に落ちていた、ぶどうパンのレーズンを食べてしまって~倒れて病院へ(汗)。犬は食べてはいけないモノが多く、ネギ類・レーズン・チョコレート・アボカドetc・・・命にかかわるモノだらけで『軽度の腎不全』との事で家に連れて帰って来た。初日のコレが【キッカケ】で、今までボロボロ食べこぼしていた我が家の食卓は「こぼしたらコアが死んじゃう!」と子供たちが言い合って綺麗に食べる様になり、なんでも口に入れてしまうコアのお陰で家中が綺麗になったのであった・・・。2026年!三和新聞 第300回!…過ぎていく時間を濃厚に『ゆっくり』と感じられるようコアと共に!邁進して行く所存である。←2度言うな。

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