Archive for the ‘三和新聞’ Category

第221号 親不知

2019-05-31
第221号 親不知

writer: 小 林 照 宜

 『平成』から新元号『令和』となりテレビでは様々な特集を放送していますが、私的には、仕事の都合上色々な式典を見る機会が少なく改元にはピンとこない普段通りの生活を送っています。ところで話しはコロッと変わりますが皆さん、歯医者さんは好きですか?私は大の苦手でして・・・ちょっとした事では、中々行くことが出来ません。そんな性格が災いして【親不知(おやしらず)】を抜く事になりました・・・。

 昨年の2月、既にその2~3ヶ月前から右下の奥歯がズキズキと痛かったのですが段々グラグラになり流石に治療をしなくてはいけないと思い近所の歯科医へ行きました。これまで私は色々な歯科医さんに通いましたが何かしっくりせず定着しませんでした。近年自宅の近くに新しく開業された歯科医が出来、噂に聞くと女医さんという事なので物は試し!と行ってみる事にしました。予約を取り診察を受けると痛くなっていた歯は即刻「抜かなければいけません!」と宣告され、その歯を抜くと奥に歯茎の中に隠れている【親不知】が有り厄介な事に抜こうとしている歯に向かって真直ぐ横に生えていて痛む歯を抜くと親不知も抜かなければいけないとの事でした。親不知を抜くにはメスを入れて口の中を切らないといけないので町医者では出来ない。市民病院の口腔外科に行かないといけないそうで「紹介状を書くので行って下さい!」と言われました。更に「痛んだ歯は今日今から抜きますか。それとも市民病院で親不知と一緒に抜いてもらいますか?」ともう抜く前提の話ばかりされます。抜かずに治す選択肢は無いかと聞こうと思いましたが全然そんな雰囲気ではないので聞くのを諦めました。歯を抜くことは全くの想定外でショックが大きく初診のその日に抜くことに決心がつかず市民病院で抜いてもらうことにして紹介状を書いてもらい、すごく重い気分になって自宅に帰りました。

 週明けに市民病院に電話をして予約を取り会社には休日をもらい、いざ市民病院へ。ロビーに入るなり何処へ行けば良いか分かりません。近頃の病院は私の様な人が多いのか入り口に立っていて案内してくれる人がいます。早速受付の場所を聞いて紹介状を渡し今度は受診の受付です。受診受付の所にも人がいて何も分からない私は言われるがまま画面を操作して受診票のプリントをもらいました。次は診療受付です。受付カウンターで受診票を渡しモニター画面に受診番号が出るのを待ちます。受診番号が表示され中待合では5~6人の人が待っていました。私は今まで経験したことにない市民病院で歯を抜くという行事に内心ドキドキで他の人に悟られないように平静を装っていました。いよいよ名前を呼ばれ診察室の中に入り椅子に座りました。さあ診察と思い先生に目をやると何と若い女医さんでした。しかも少しあどけなさも残る利発的な美人です。こんな綺麗な女医先生に歯を抜いてもらうなんて・・・と私は少し恥ずかしい気持ちになりました。「今日抜かれますか?」と尋ねられたので「是非!」と答え、女医先生の予定を確認しその日の午後抜くことが決まりました。午後になりいよいよ抜歯です。予約してあるのでそのまま診療受付へ午前中に貰ってあった受診票を渡し直ぐ中待合へ入りました。名前を呼ばれて診察室へ口を開けて状態を診察して治療台へ歯茎に塗る麻酔の後注射の麻酔を打たれました。麻酔の効いた頃『手術?』開始です。先ずはグラグラになった奥歯を抜きます。顔にガーゼを被せられているので何も見えませんが歯医者さん特有の「キーン!」という音と共に私の口の中で「ガリガリ!」と振動が伝わって来ます。5~6分すると「小林さん先ず1本抜けましたよ」声を掛けられます。私は口を開けたまま「アーアー」と返事をしました。「じゃあ親不知を抜きますね♪」と女医さんが言うと先程よりも太い「ブーン!」という音が聞こえ暫くすると明らかに力強く削る振動が「ゴリゴリゴリ!」と口の中でします。少し心配になって来ましたがここまで来て辞める訳にはいきません。今回の様な抜歯は先生にとっては日常茶飯事だよなと自分に言いきかせ先生に任せます。それでも「あれー!」とか「どうしよう?」とか私を不安にさせる会話が聞こえてきます。一向に終わる気配がありません。削ってはグイグイと抜こうとする行為が4~5回となく続き口の中でスポッ!と抜けた様な感触した瞬間「小林さん抜けましたよ♪」と安心した口調で告げられました。その後も20分ほど後処置が続き、全体で1時間弱掛かって私の抜歯は終了しました。抜歯後に抜かれた歯を見せてもらい「持って帰りますか?」と尋ねられましたが持って帰っても誰に自慢する訳でもないので「・・・要らないです。」と遠慮しました。診察の後「麻酔が切れると痛くなるので頓服を出しておきますね!」言われ診察室を後にしました。会計カウンターで会計を済ませ処方箋をもらい近くの薬局へ、ここでようやく『抜歯』が終わった・・・と、ほっとしたことを覚えています。

 私が子供のころは誰もが虫歯になっていた記憶があります。今では高齢者施設や公立の小学校などでは定期的に歯科衛生士の人が来て歯磨きの練習をしたりフッ素体操なるものもあり虫歯予防に力を入れています。先日テレビでヨーロッパの国では国民に虫歯が無く老人になっても自分の歯で物が食べられると放送していました。昔に比べて虫歯になる度合いは減りましたが、それでも私の様に歯槽膿漏になれば歯を抜く事になります。日頃の歯磨きは重要です。毎日の行動が後々の礎になって行きます。私たちの日常、仕事でも日頃の積み重ねが必要不可欠と再認識させられる出来事でした。

【三和新聞】220号

2019-04-30
第220号 青年部ありがとう!そして・・・

writer:  新 妻 吾 郎

 さて!『令和』である。何故『三和』じゃないんだ!?と思ったのは・・・私だけだろう。しかし何の因果か?『令和』最初の三和新聞担当である♪多分、新元号になる前に・・・子供も産まれているんじゃないかなぁ~?と思いつつ、節目の三和新聞!STARTである♪

・・・先々月の3月中旬!私は【豊橋商工会議所 青年部】を卒業した。半世紀も生きて『青年部』で『卒業』もないが・・・コレもひとつの節目として、ゴールテープを切らせて頂いた。会社をはじめ青年部(YEG)のメンバーに深く感謝申し上げる。たった5年間の青年部生活だったが、内容の濃いぃ~経験と時間だった。5年間という年月は~留年した大学生活とドンピシャの5年間・・・感慨深いモノが有り、一生ものの【仲間】も出来た。この歳になって、そんな【仲間】が出来るなんて・・・この上ない幸せである。

2014年に入会したのだが~私は多少の不安や緊張と共に、何か清々しさを感じていた。それは何故か?三和に入社してからは、ずっと『二代目』という~ある意味、呪縛めいたモノ?が解き放たれ『新妻』ではない『吾郎』だけで勝負が出来たからである。・・・解って頂けるかしら?とにかく!ひとつの『重み』をチョイと置いて~入ることの出来た新しい世界だったのだ。ただ『吾郎』で勝負するも豊橋には、とぉ~っても偉い『吾郎さん』という字が全く同じ方がいらして・・・「吾郎ちゃん、なんて呼べないよぉ!」というのが、青年部みなさんの第一声であった。しかし、まぁ~ちょっとしたら皆に呼んでもらえるようになり、ホッとした次第である。ド偉い吾郎さんともお会いする事が出来、今では「吾郎さん!」「吾郎ちゃん!」と呼び合わせて頂いている。

入会後、最初の委員会はビジネス系の委員会で・・・『炎の祭典』や『ええじゃいか』といった継続事業も大変だと思うが、私は単年度事業の【何もないところから何かを生み出す事業】だった・・・思えば5年間、ビジネス系のみの委員会であった!入って2年目、私は事故って死にかけた。そして3年目『広域交流委員会』の委員長を仰せつかったが事故後の体は~まだ思うように動かない上に顔面神経麻痺と帯状疱疹にもなって、はじめてのSTAFF会議は市民病院の病室でおこなった。・・・正直、気力も疲れ果て~副委員長たちに『委員長辞退』を申し出たが、その時のみんなが「辞めないで下さい!」「頑張りましょう!」「必ず!支えますから!」と叱咤激励してもらい・・・なんとか奮起して【東三河大交流会】なる事業を成し遂げることが出来た。今やこの事業は豊川YEGから蒲郡YEGと受け継いで頂き、単年度事業から継続事業となり今年度また豊橋YEGが担当となり・・・チョットしたムーブメントを起こせたようで、嬉しい限りであり同委員会の皆に感謝して止まない。

 また、バイク&サッカー&フィッシングと各同好会に所属し、現役とOBとの垣根が取れた【繋がり】が構築され、豊橋から東三河・・・愛を知る愛知県って、こういう風に動いているのだと納得した。それは街の正面玄関から横丁の奥深さ、そして裏側に至るまで色々な事を多角面的に知る事が出来たのだ。それは【人と人との繋がり】なくしては知り得ない事である。そんな仲間たちを、会社の仲間たち同様!一生大切にして行きたいと心の底から思う次第である・・・・・感謝。  

 さて、話しは~いつもながら?急展開するが~冒頭↑子供も産まれているんじゃないかなぁ~?と書いたが~産まれました♪←えーっ!この書いてるうちに!←ンな事あるかぁーい!どれだけブツ切りに書いとんねーん!←書き直したんじゃーい!と、ひとりボケツッコミしつつも~4月25日!長女ひまりと同様!立会希望ではなかったハズなのに~何故か7時間チョイに渡る分娩室で妻と一緒に、もがき苦しんだ末!51.0cm~3302gの【将吾】と書いて『しゅうご』と読む【宝】が誕生した♪その将吾を抱きかかえた時!またひとつ、私の全身に燃えたぎる【力】も誕生した事は言うまでもない。

【三和新聞】219号

2019-03-30
第219号 目標達成♪
writer: 渡 邉 啓 史

私は以前の新聞でも書いた事がありますが、趣味でマラソンをしています。マラソンで走っている内に段々とマラソンをテレビで観戦するのも好きになり、番組表をチェックしては観ています。そんな中、2017年4月に2020年に開催される東京オリンピック マラソン日本代表選手の選考方法が発表され、新たに【MGC】(マラソングランドチャンピオンシップ)が創設された事により、例年行われるマラソンの主要大会が、より一層盛り上がりを見せています。MGCが導入される前の代表選考方法は、レース内容も気象条件も異なる複数の大会での成績を比較する方式だった為、あれやこれやと物議を醸す事も多かったようで選手や関係者、ファンをヤキモキさせている状況だったようです・・・。

そこで選考の透明性と日本のマラソン選手の実力強化を図る為に『2段階選抜』による新方式のMGCが打ち出されました。各選手たちは、2017年8月から2019年3月までに開催されましたMGC選考レースに出場し、基準タイムをクリアするとMGC出場権が得られます。男子の対象レースは『福岡国際マラソン・東京マラソン』などの5大会あり、2年間で合計10レース有ります。女子は『大阪国際マラソン・名古屋ウィメンズマラソン』など合計8レース有ります。『名古屋ウィメンズマラソン』は、女性限定のマラソン大会として世界最多の参加人数で【ギネス世界記録】を更新しています。完走者にはティファニーのオリジナルペンダントが贈呈されますので、女性の皆様、是非参加してみてください(マラソンに興味のある方は『三和マラソン部』まで連絡くださいね・・・♪)

各選手、どの大会が自分にとって条件があっているのか、どこで勝負をかけるのか!などを分析して大会の臨んできており、どのくらいのタイムで走り、MGCを獲得出来るのかを、毎レース楽しみに観ていました。2年間のレース結果でMGCを獲得出来たのは、男子30名、女子14名の選手でした。オリンピック代表は『3枠』ありその内の2枠は今年の9月に行われるMGCで、東京オリンピックのコースとほぼ同じコースを走り、『優勝者』と『2位』が代表に内定されます。残り1枠は【MGCファイナルチャレンジ】でMGC終了後に国内主要3レースで、設定記録をクリアした最速の選手が代表となります。前の選考方式と違い、『公平差』、『代表条件』が明確になり、選手たちも『事前準備』が出来、また何より視聴者側も今まで以上に楽しむことが出来る様になりました。

MGC【仕事】にはドラマがあり、何回もチャレンジするけど獲得【目標達成】出来ない選手・・・大会に向けてのコンディションの調整不良【計画】や、また気象状況【経済】、転倒や故障【アクシデント】などで実力を発揮できない選手。ペースランナー【お客様・上司】がうまく引っ張ってくれたり、気象条件も良く、レースのかけ引き【技術力・営業力】がうまくいき初マラソンで獲得【目標達成】出来る選手など様々です。しかしその舞台に立つまでには、どの選手も計画や努力や目標を達成するという強い気持ちを持っているんだと思います。基準タイムに数秒足りなかった時の悔しさ!今まで努力してきたけど達成できなかった事の悔しさ!全力を出し切った達成感!など様々ですが、オリンピック代表になる為にはどうしたら良いのか?今自分に足りないものは何なのか・・・日々考え、努力して、目標を達成する為に頑張っているのだと思います。

仕事もマラソンも目標達成する為には同じだと思いますので、日々努力し強い気持ちをしっかり持ち続けて行きたいと思います。ちなみに私の注目選手はやはり地元豊橋出身の鈴木亜由子選手♪2016年リオデジャネイロオリンピックでは、5000mと10000mの日本代表に選ばれ、昨年に生涯初となるマラソンに出場し、なんと優勝!!MGCを獲得しました。何としてもMGCにて代表内定を獲得して欲しいです。皆さんも鈴木選手の応援、宜しくお願いします!!

【三和新聞】218号

2019-02-28
第218号 昔の常識は今の非常識
writer: 杉 浦 秀 幸

春は卒業、入学、入社など様々な旅立ちや出会いがあります。来月には新元号が発表され5月からは新しい時代が始まろうとしています。私事ですが我家の娘も3月で高校を卒業し、4月には社会人としてスタートします。そんな娘は2000年生まれ、いよいよ21世紀の世代が社会で活躍していく時代に突入していきます。時代が移り変わるにつれて私たちの周りの環境は目まぐるしく変化していきます。そして人々はその変化に適応するために日々学び、努力していると感じます・・・。

先日、何気なく見ていたインターネットの情報で『今では信じられない!昭和の常識ランキング』なるものが掲載されていました。勿論そこに書かれていた常識は、昭和の時代では当たり前のように行われていたことばかりだったのですが、平成生まれの娘たちには理解できないことだらけだったようです。特に娘たちが驚いていたのが【公共の場でのたばこのマナー】でした。つい20年程前までは電車内や病院の待合室、学校の職員室などどこでもたばこが吸える環境でした。私たちの会社でも当時はたばこを吸いながら仕事をしている人が多く見られましたし、会議中でも当然のようにたばこを吸うので、部屋中たばこの煙で真っ白ということも日常でした。幼少の頃からたばこの害について学校等で教育を受けてきた娘たち世代にとっては、まさにありえない時代だったようです。しかし今では公共の場所での喫煙は禁止され、職場内でも休憩時間に決められた場所でしか吸えないというのが常識となっています。
また私の趣味でもあるマラソン界においても少し前までは常識だと思われていたことが覆ることが起きていました。それを知ったのはランニングシューズを買い替えようとスポーツショップに行った時のことです。店内で私がシューズ選びをしていると店員さんが声を掛けてくれました。マラソンの話など色々と会話をし、その後に店員さんが勧めてくれたシューズが厚底なものでした。厚底と言えば初心者向け用とかジョギング用に採用されていることが多く、競技用では薄底が一般的でした。私は少し戸惑いながらこのシューズを試し履きしました。履いた瞬間に今まで履いたことのないような感覚になりました。厚底なのにとても軽く、アッパー部分がニット状になっているため足にとてもフィットしました。店員さんの説明によると「厚底になれば重くなる」という不利な面を解消するためにソール部に特殊な軽量素材を使い、さらに反発力のあるカーボンファイバーを組み合わせていることで軽さと推進力が実現しているそうです。履き心地も今使用しているものとはかなり違いますが値段も他の商品と比べて2倍以上しましたのでその日は買えず諦めて帰宅しましたが、あまりにも履き心地が良かったのでインターネットで検索したところ、日本新記録をマークした大迫傑選手が使用しているシューズと同じ仕様でした。
そこには靴の性能と共に日本のマラソン界の常識を打ち破る新たな走り方『フォアフット走法』についても書かれていました。従来日本では、かかとから着地する走法のほうが足に負担がかからないとされてきたのですが、最近の研究ではつま先から着地するフォアフット走法のほうが体の負担を小さくできることが分かってきたのだそうです。また今年の箱根駅伝の多くの選手たちはこのシューズを採用していました。選手たちにあったシューズを開発することで記録も伸びたそうです。私はあの時履いた履き心地が忘れられず、先日シューズを購入してしまいました。あとはきちんと練習して結果が出るように頑張るだけです。
時代は常に変化していきます。そしてそのスピードは年々速くなっているように感じます。変化しても良いものや必要とされるものは受け継がれています。また新しく便利なものは活用されていきます。仕事においても大切な技術は継承し、便利なツールを活用していくことで効率が良くなりもっと技術カが上がると思われます。そのため私たちはその変化に柔軟に対応できるように常にアンテナをはっていなくてはなりません。【昔の常識は今の非常識】になることもあるものだと意識しながら日々一歩ずつ目標に向かって進んでいけば何十年後の成長につながっていくと思います。

【三和新聞】217号

2019-01-31
第217号 くうねるあそぶ
writer: 太 田 敏 浩

今月が私の平成最後の三和新聞の記事になります。【平成最後の】は最近メディア等でよく耳にしますが、ようやく自分で使う事が出来ました。さて、今回は愛犬ニコの話です。ニコは2016年5月11日生まれのオスのミニチュアピンシャーです。口角がニッと上がった表情から『ニコ』と名付けました。体型は一般的にドーベルマンをそのまま小さくした様な感じですが、ニコは何故か首と足が短いずんぐり体型に育ってしまいました。愛犬と飼い主は似るといいますが、顔は似ても似つかぬイケメンなのに体型が似てしまう所にDNAだけでは説明出来ない見えない力を感じてしまいます。ミニチュアピンシャーは事前情報でとにかくヤンチャで手に負えないので、初心者には向かないとは聞いていましたが、小型犬だからと高をくくっていました。しかし家族に迎えたその日から想像を絶するニコとの激しい闘いが始まったのでした・・・。

ニコはとにかくイタズラが大好きです。ニコにとっては遊びなのかもしれませんが・・・。興味を持った物は届く所に置いてあると、とにかく齧(かじ)ります。そして前足で押さえて引きちぎります。咥えた物をブンブン振り回して放り投げます。ポケットに入れてあっても鼻先を突っ込んで取り出します。リュックのファスナーの合わせ目をグイグイ押してこじ開けて中身を取り出します。ワンプッシュの開閉扉付の靴箱は扉を前足でワンプッシュして開けます。これまでに被害にあった物をざっと紹介します。レンズが割れてフレームが千切られた【メガネ】。角が齧られた【皮財布】。噛まれてボコボコにされた【カード】。ページが引き裂かれた【犬のしつけ本】。靴ひもの齧られた【革靴】。ゴミ箱をひっくり返して紙を引き裂き、床いっぱいにぶちまかれた【部屋】。その度に唖然とさせられてきました。でも全てはニコが届く所に置いてあった事が原因であってニコが悪い訳ではありません。大切な物は高い所に置く。柵で囲って入れない様にする。といった対策をしてからは被害も落ち着いてきました。しかし、ニコはいつも『その時』を狙っています。そしてニコには驚異的な身体能力が備わっています。高い所に置いてあっても端に置いてあれば、ジャンプの最高到達点で鼻先をスッと伸ばして獲物を捕らえます。失敗しても諦めないガッツがあります。捕らえるまで何度でも何度でも飛び続けるのです。

更に食べる事が大好きです。朝ご飯をお皿に入れた時に一粒が柵の向こうに落ちた事を察知しています。朝ご飯を食べてから部屋を離れたとしても部屋に戻ると、朝ご飯の一粒を前足で柵の中に入れて探ります。ヒットしないと柵の中への侵入を試みて入り口をあちこち探します。鉄壁の防御で侵入を阻んでいるつもりでも何処かに綻(ほころ)びがあると侵入して餌をゲットするのですが、それだけでは満足せずに柵の中を荒らして去って行きます。そして夜、眠くなると上手に毛布に包まってイビキをかいて眠るのです。常に全力で生きるニコとの闘いはこれからも続きますが、その全力さが毎日の生活に活力を与えてくれています。

皆さんは【くうねるあそぶ】という言葉に聞き覚えはありますか?【食う寝る遊ぶ】を繋げたこの言葉を2年半前に家族として迎えたニコにピッタリな言葉だと思っていたのですが、ふといつ聴いた言葉なのかと検索してみると、昭和の終わりから平成の始まりに放送されたテレビCMの一節でした。コピーライターの糸井重里さんが高度経済成長の後に【食う寝る】に【遊ぶ】を加えたい思いから出来た言葉のようです。今年は4月で平成が終わり新年号が始まると共に働き方改革元年となります。30年経って仕事のツールは変化して便利になりましたが、効率に目を向けた仕事運びが出来なかったように感じます。仕事の中にも【あそぶ・遊び心】を持ち合わせながら、何かを変えてみる事が大切だと思います。そろそろ老眼と物忘れが始まった自分としては、若い人達の新しい発想を期待しています。それを上手に制度化するのはおじさん達の役割です。試行錯誤しながら、【働き方改革】を実現していきたいですね。

【三和新聞】216号

2018-12-31
第216号 平成と共に・・・
writer: 彦 坂 訓 克

 あけましておめでとうございます。本年も昨年同様よろしく申し上げます。いやぁ~毎年毎年感じることですが・・・1年経つのが、やったら早いと思いませんか?しかも年齢を重ねていくほど強く感じるのは私だけでしょうか?『過ぎた時間は戻らない』とは解っているのにいつも時間に追われ、そのうち『追い越されて』しまいそうです。昨年を振り返れば、三和機工全体として良い成績を残せることが出来て、とても楽しい忘年会で締めくくれたのではと思います。その忘年会で我が量産製造部は、一丸となってのダンスを披露しました。正直始めは巻き込まれた感が強かったのですが、いつしかのめり込んでいく事となりました♪

 日々の地道?な合同練習(私は練習不足で迷惑かけましたけど)の成果もあって、量産製造部は一体感をもって1年の集大成!を披露出来たのではないかと思います(完成度は別?私やっちゃいましたけど・・・)本当に楽しい忘年会を皆さんと一緒に過ごす事が出来、とても良い年越しを迎えられました。今年の忘年会も昨年以上に盛り上がれるように皆さん頑張っていきましょう!(今から今年は何するのかドキドキです。)さて昨年は、何かと『平成最後の○○』とのワードを耳にしましたが、この年明けも平成最後の正月ですね。30年続いた平成も4月30日までとなり、5月からは新元号!一体、どんな元号となるのでしょうか?

 私にも平成と同じく最後となることが実は有ります。それは『さらば40代!』いよいよ50代の大人の仲間入りです。40歳半ば頃に、超ヘビーだった煙草をやめることができ、世間で言われるように一気に太るかと思いきや食事は昼食のみ、朝は食べず夜は酒だけ・・・そんな不健康な生活を続けてきたお陰で?痩せず太らずでした。しかし!若い時にはカァ~ナァ~リ好き嫌いが多かった私も歳のお陰か?最近では何を食べても美味しくて、ついバクバク食べてしまう生活に変わってきてしまったお陰で?10kgほど太ってしまいました!お恥ずかしい話ですが、はじめは自分で太ってきている感覚など全く無く、なんでお腹だけポッコリ!?なんなんだ!この腹?これは絶対、何かおかしい!と思い込み、病院へ行って相談までしました。医者はそんなに気になるならCT撮ってみる?と言われ紹介状を持ってCT撮影。・・・結果は、ただ太ってお肉が付いただけぇ~でした。医者が「特に異常はないですよ!」って『あんた、ただ太っただけですよ!』と、言いたげな感じタップリで・・・とても恥ずかしい思いをしたものです。・・・思い込みって怖いですね♪

 そして我が愛息も新たな年となります。小学生の頃のことですが、遊具から落下し泡吹いて気絶!救急搬送されICUへ。この時だけは本当に焦ってしまいました。慌てて病院へ駆け付けて、息子が初めに放った言葉が「お腹減った!」「はあ?」・・・さすが、我が子です。いつかの新聞記事にも書かせて頂きましたが、今でも家では冬でも、ほぼパンツ一丁スタイルは変わらずです。こんな息子も今年で成人の仲間入りとなります。もう二十歳、本当に時が経つのは早いです。

 新年を迎え私の今年のテーマ(目標)として、これまで殆ど『運動』ということに縁がなかった自分ですが、少しずつでも体を動かし!先ずは、この腹を~へっこめる!この腹が、趣味の釣りでリールを巻くときに手がポッコリお腹に当って魚のあたりを感じるより腹にあたる感じが邪魔してしょうがないのです。次に最近ではなかなか話すどころか、顔を合わす事も少なくなった息子と、あの心配させられた『いつか』を肴に、旨い酒を酌み交わしたいです。そして一番のテーマとなりますが、私は物事をスグ後回しにしてしまうすごく悪い癖があります。いつもこれをやってから、あれをやってからと。今までも、この『悪癖』のせいで仕事にせよ、プライベートにせよ、ギリギリでの対応を余儀なくされてきました。冒頭にも書きましたが、これからも年を重ねる毎に時間が経つのが早く感じる事で時間に追われる事が更に増えていく事でしょう!このままでは、時間に追われるだけでなく、本当に時間に『追い越されて』しまうかも知れません。『過ぎた時間は戻らない』私の人生もすでにカウントダウンが始まっていると言った方が近いかもしれませんが、新たな年(時代)に50歳を迎え、後回しにしてしまう悪い癖を直し!時間に追われ、追い越されないように良き50代のスタートを切りたいと思います。

【三和新聞】215号

2018-11-30
第215号 50ちゃいパパ父たん♪
writer: 新 妻 吾 郎

 もう『師走』へ突入である。月日は、アッという間に~坂を転げ落ちるようだ・・・が!今年、私はメモリアルイヤー♪満50ちゃいになってもぉーた!かの日本一の兵(つわもの)・真田幸村より、軍神・上杉謙信より!天下人・織田信長よりも!(皆、享年49)・・・彼らより長生きして、私はいったい何を成し得たのだろうと思いふけるが・・・偉人達と比べちゃアカンか。いや、アカンと思った時点で、負けで~それもアカンか。まぁ~さて今回は、そんなメモリアルイヤー50ちゃいの2018年を振り返ってみようと思う。あと、1ヶ月あるけれども・・・

 今だから話せるが、今年の初めは愛娘ひまりが何度も倒れて・・・参った。KOパンチでも喰らったかのように突然バターンと倒れる。前のめりに倒れ込んだり後ろにも。いきなりラーメンの丼ぶりに顔を突っ込んだり、風呂にうつぶせでプカーッと浮いてる時は流石に生きた心地がしなかった。てんかん発作なのか?病院で脳波や私の大嫌いなMRI検査もした。まだ2ちゃいだったので、ジッとしていられる筈もなく軽い睡眠薬の投与で昼寝もさせず~なんとか寝てくれと・・・。検査結果は『異常なし』異常が無くて1日7~8回も倒れますかと。不安を抱えながらも、縁(ゆかり)の有る南の島へ連れて行ったらパワースポットなのか?ピタリと倒れなくなった!帰ってスグ病院へ行っても、治った要因も『原因不明』&『人間の神秘』・・・とにかく、今現在は何事もなく~ホッと胸を撫で下ろした次第である。

 私の誕生日は7月11日のセブンイレブン♪7月10日(納豆の日)から8度目の富士山頂を目指した。事故ってから4年ぶりの富士登山、体力は大丈夫だろうかと不安もあったが一歩ずつ、一歩ずつ・・・噛み締めながら登り切り~7月11日セブンイレブンの御来光を全身に思いっ切り浴びて~思いっ切り疲れ果てて漏電。←充電しろよ。しかし、まだまだ行ける!と確信した。そして、北へ南へ東へ西へとバイクを走らせ日本全国を巡り廻った。夏の超猛暑日に商工会議所の青年部YEGサッカー同好会の全国大会が千葉県の柏であり30分ほどだったがピッチにも立てた。バイク同好会もフィッシング同好会も活発に活動参加し、日々『愛を知る県』の愛を知らされている。感謝。

 小学校から一緒で、高校ではバンドも組んだ仲間が今年の3月に逝ってしまった。本当にショックだった。三和で働いてくださった方も、バイク同好会の仲間も~バイク事故ではないが亡くなってしまった。家内の御祖父様も、つい先日・・・ご逝去された。本当に哀しい事ばかりだ。そして『死に別れ』も哀しいが『生き別れ』も哀しい。今年は【人】が本当に動いた年だ。売り手市場でもあるから出入りが激しい。若干『出』の方がウェイトは大きいか。とかく目移りする物に惑わされず、コレと決めたら一生!誇りを持って仕事を成し遂げる事が人生の幸せだと私は思う。大切な仕事仲間と仲間のご家庭までひっくるめて、みんなで力を合わせて!手と手を合わせて『幸せ(しわ合わせ)』になりたいと心から思い、願い、動いている。また各地、地震や豪雨そして台風による災害も多かった年でもあった。ウチも台風21&24号の直撃により停電、会社休業を余儀なくされた。地球全土で異常気象、地震・津波・タイフーン・・・地球自体が怒って、限界を迎えているかのようだ。私たちも台風のように予測がつくものと東海地震や南海トラフなど、いつ襲い掛かってくるかも予測し得ない天災に備えなければならない。色んな角度から苦難は続く。終わりは見えないが・・・ひとつ、またひとつと捌き切って生き抜いてゆかなければと心底思う。

 愛息の勇吾だが今年の1月に会った時、中2で既に背を抜かれていた。足は28cm・・・私、27.5cm。そして10月の半ば、中3剣道の試合で愛知に来たので会ったら、また一段とデカくなっていた。中学全国大会で準優勝し、頭は悪いが~剣1本で高校も剣道推薦で行けるようになり道を切り拓いた~更に!私と同じ『東海大学』付属の高校を選んでいた。猛烈な嬉しさと共に~今、親子喧嘩したらコイツに勝てるだろうか?とアホな事も考えていた。そして、ひまりも3ちゃいになり七五三祝いをした。そして~そして!ここで私事ですが↑ほぼ私事しかお伝えしておりませんが・・・今、家内のお腹に5ヶ月の生命を授かった事をお伝え致します♪・・・ひとつの命を宿すのに父たんマジで命懸け(汗)。単純計算で、この子が成人するまでに私は70 overであり、体の衰えに負けぬよう気力で『働き方改革』ならぬ『働き続ける方~改革』発動中。・・・少し早いですが、良い年をお迎えくださいませ。

【三和新聞】214号

2018-10-31
第214号 備えあれば憂いなし♪
writer: 菅 沼 稔

 朝夕すっかり涼しくなり収穫の秋を迎え、食べ物の美味しい季節となりました。秋と言えば私の趣味である釣りのベストシ-ズンなのですが、今年は何故か台風が週末に向けて日本にやってくる事が多く、私のホ-ムである『遠州灘』はいつも荒れており、なかなか釣りに行く事ができずにフラストレ-ションが溜まっております。『遠州灘』とは静岡の御前崎から愛知の伊良湖岬までの海域で、ウミガメが産卵に訪れる浜辺としても有名ですし、サーフィンの国際大会なども開催しているマリンスポ-ツのメッカでも有ります。とても綺麗な砂浜ですので、ぜひ訪れてみて下さい♪

 ここ最近は毎年のように異常気象だの猛暑などと騒がれており、何処かしらで最高気温を更新したというニュ-スをよく耳にしました。そして今年は台風の当り年!8月だけで8個も発生しており、実に14年ぶりの事だそうです。この9月にも大きな台風が2個、東海地方に上陸しました。どちらも日本列島を縦断し各地に多大な被害をもたらしましたが、私の住む『愛知県豊橋市』では9月末に発生した台風24号により10万戸以上が停電となり復旧に4日以上かかる所も有りました。突然の停電に懐中電灯すら準備していない我が家は大慌て!数年前に用意したはずの防災グッズが何処にあるか分からない・・・。スマホの明かりを頼りにやっと見つけた防災リュックの中では懐中電灯・サイレン・自家発電機能を備えた多機能ラジオも電池の液漏れを起こしている有様・・・。そんな中、懐中電灯も不足しており暗かった室内を長男がおもむろに空のペットボトルに水を入れて懐中電灯で照らし簡易ランタンを自作、部屋全体が明るくなり重宝しました。その役は私がやって家族から「お父さん!頼りになる~♪」なんて言われたかったなと思いつつ、成長した息子を頼もしく思いました。幸いにも我が家ではガス・水道が使えましたので、トイレと食事は事なきを得ましたが、電気が使えない事がこんなに不便なのかと痛感するとともに、防災時の【備えの大切さ】・・・身をもって感じました。

 さて、台風もさることながら災害で怖いのは【地震】と【津波】です。発生から進路・規模を天気予報で知る事が出来きる台風と違い、これだけ科学が発達した現在においても地震の発生予測は難しく事前に備える事ができません。ご存知の様に日本は地震大国。ここで少し地震のメカニズムをご紹介すると地球表面は厚さ100kmほどの巨大な岩盤プレ-ト10数枚に覆われており、このプレ-トは地表を覆っているだけではなく、プレ-ト自身が少しずつ動いています。折り重なるプレ-トが少しずつ動くことによって生じた歪(ひずみ)が限界を迎えた時、元に戻ろうとして反発する力が陸地に伝わり地震が起こるのだそうです。そして世界に10数枚しかないプレ-トのうち4枚が周りを覆っている日本は、いつ地震が起こってもおかしくない場所なのです。記憶に新しい所で言えば今年9月に起こった『北海道胆振東部地震』(ほっかいどういぶりとうぶじしん)、2016年の『熊本地震』、少しさかのぼって2011年の『東日本大震災』での地震による津波被害の映像は、まるで映画でも見ているかのようで・・・現実とは、とても思えませんでした。

 この東海地方では100~150年周期で起こると云われている『東海大地震』や『南海トラフ大地震』がすでに100年以上発生していないとの事で、30年以内に巨大地震が来る確率が70%以上とも云われています。各地で発生している大地震を【対岸の火事】と思わずに、そして自然災害のみならず、目まぐるしく変わる社会の中でいつか起こるかも知れない『リーマンショック』の様な経済の大地震にも耐えられるような準備と備えをして、大事な会社と何よりも大切な家族を守って行きたいと思います。

【三和新聞】213号

2018-09-30
第213号 リフォーム大作戦
writer: 小 谷 野 一 彦

 私の前号記事(205号)で父の免許返納の事を書きましたが、時を同じくして我が家では大きな計画が進行していました。2018年、結婚30周年を迎えるにあたり記念旅行や感謝の気持ちを込め身内を集めて食事会など、色々とイベントを考える中で家内から「家のリフォーム!」という言葉が発せられました。築32年の我が家は経年劣化や曳家による傷みがあるものの住むことに困るほどではないため、私自身まったく意識しておらず・・・少し驚きました。

 結婚当初から私の両親と同居し、家事をしてくれている家内が希望することならと思い、結婚30周年大プロジェクト【リフォーム大作戦】を決行することとしました。以前から考えていたのか家内は「ここはこうしたい!」「あそこはこうしたい!」と色々と計画があり、細かな所までよく考えているなと感心しながらも、「予算はどうする?」と互いに笑い合いました。リフォーム見学会や住宅展示場などを廻りながらイメージを膨らませ、何社かに的を絞って見積を依頼し、そのうちの1社が我々の希望する内容を解り易く『見える化』し技術的な裏付けもありましたので、そのメーカーにリフォームを依頼しました。工期は3ヶ月住まいをしながらではもっと長くかかるため、アパートへの引っ越しを余儀なくされ【リフォーム大作戦】は引っ越し準備から開始です。

 大して物が無いと高を括っていましたが始めて見ると、押し入れに押し込んであった色々な物が出るわ~出るわ!思い出に浸っている暇は無いと自分に言い聞かせ!片っ端から断舎利を行い!汗だくになりながら不要となった物をトラックに乗せ、資源化センターを何度も往復しました。家の中を空にしたら次は内装の解体です。初日の夕方どんな状況かと見に行くと、壁・床はすべて剥がされ柱がむき出しの状態で、32年住み慣れた部屋がたった1日で壊されていました・・・。よく信用を無くすことは簡単といいますが、壊すのはホント簡単なんだと実感し、少し切ない気持ちにもなりました。その後1日1日とリフォームが進み予定通り8月上旬に無事に完成入居の運びとなりました。

 さて、少し我が家のリフォーム内容を紹介したいと思います。リフォーム前は小柄な我が家の体に合わせ(笑)狭小玄関だったのですが土間を広げたことで奥行きも出て開放感を感じ【満足!】場所を取っていたくせに容量の小さかった下駄箱は、最上段は手が届かない高さまで棚があり収納力タップリの下駄箱に変身!これも【満足!】東から西に移した両親の部屋は和室からフローリングの洋室に変え、それぞれにベッドも備え付け寝起きを楽になるようにしたところ「楽に快適になったよ!」と両親は【大満足】・・・だと気を遣ってくれています。そしてメインはリビング!今まではキッチンとリビングが離れていたため『リビングにいる私』『キッチンにいる家内』では話がしたくても会話が出来ず、家内は不便だったらしく(私的にはお気に入りの時間だったのですが・・・)リビングとキッチンを一体化し、いつでも私を監視できるよう見通しの良い空間として家内は【大満足】そして『風呂・トイレ・和室』もリフォームし、家の中は新築か思える程全てが綺麗になり家族全員【大満足!】です!

 数えで54歳、来年は四捨五入すると60歳になってしまう還暦か~悪いことが起こらないようにと火防の神さま!『秋葉山本宮秋葉神社』にご祈祷を!と行ったところ、受付で『八方塞がり』と書かれた祈祷案内があり・・・対象の生まれ年にはナント私の昭和39年が入っていました・・・何をやっても八方塞がりの年・・・そんな年に一大決心して大掛かりなリフォームをしたのに大丈夫なんだろうか?知らなきゃよかった・・・しかし知ってしまったからには家のご祈祷と共に八方塞がりのご祈祷もシッカリお願い致しました。・・・何だか妙なオチが付いた感じです。

 さて、話を戻しますが我が家のリフォームは予想以上に快適で本当に【満足】しています。ところで皆さんも【満足】はよく社内で聞きますよね!今回私が感じたように三和機工が製造・販売する製品で、我々のお客様に【安心・満足】をして頂きたいと、常に考えて行動に移すことを心掛けて行きましょう!お客様に【満足】してもらい長く働けるよう、私は住宅ローンも始まったのでもっと頑張らねばならんからね!

【三和新聞】212号

2018-08-30
第212号 先祖を敬う
writer: 小 林 照 宜

 今年は記録的な猛暑が続いていましたが、皆さん如何お過ごしでしたでしょうか。昔は暑くても28度前後、年間を通しても30度を超える日は数える程しか無かったように思えます。ところがここ数年は30度を超える日が何日も連続し今年に関しては35度を超える日が続き、最高気温は埼玉県の熊谷で41.1度を記録しました。以前では考えられないような暑さです。熱中症で病院へ搬送される人の数も今年は過去最多だったそうです。我が家では朝、気温が高くなる前からエアコンを付けて夜寝る前までエアコンを付けっ放しにしたり、休日出掛ける時に水筒を忘れずに持って出るなど熱中症にならない様に注意していました。このような異常気象が年々酷くなっていくように思えて心配になってきます。

 夏になると、やって来るのが『お盆』。お盆になると実家の仏壇の前には沢山の位牌が並びます。私の実家は歴史だけは古く、一番古い位牌はなんと宝永5年の物まで有ります。西暦にすると1708年、日本の年号では江戸時代の徳川第5代将軍綱吉の時代になります。今をさかのぼること300年余り・・・その時の暮らしがどうだったのか、またその時代そのものに思いを馳せます。位牌の数は全部で35柱・・・300年という年数からすると少し少ない気がしますが、かなり昔のことですので、お寺で調べてもらってもよく解らなかったとの事です。我が家の代にすると相続的には私が長男なので、私が11代当主になります。これだけの歴史があるのならばさぞかし良い家柄と思いますが、何のことはない私の祖先は農民だったらしく、武将や富豪の末裔でもなく只の歴史の古い家なだけです。実家の仏間には昭和初期の頃からの先祖の写真が飾ってあります。私からみると高祖父(ひいひい爺さん)からの物が有ります。遺影が無かったので、私の父親が古い写真を探して大きく引き伸ばして飾ってあります。

 私の一番身近なご先祖様は祖父です。祖父は昔商売をしていた私の家に婿養子に入り朝から晩まで一生懸命に働いたそうです。父母の代になってからは商売で忙しかった父母に代わり『姉・私・弟』の世話もしてくれました。私たち『孫』の世話も落ち着き少し時間が出来てくるとボケ防止にと『株』を始め、家にいる時はいつもラジオの株式市況を聞いていました。私が24歳の時に亡くなりましたが80歳で亡くなる数日前までラジオを聞いていました。私が幼少の頃、証券会社に行く為に豊橋や名古屋へ連れて行ってもらった記憶があります。名古屋へ行く時は、わざわざ豊橋経由で私が好きだった名鉄の『パノラマカー』で行ってくれました。『パノラマカー』は運転席を2階に移した真っ赤な展望電車で、独特なミュージックホーンも印象的でした。名古屋へ行くと祖父の用事の済んだ後に東山動物園や栄のテレビ塔へ行ったりもしました。遠い所では大阪の万博にも連れて行ってくれた事もあります。当時、私は小学1年生で大変だったと思いますがよく連れて行ってくれたものだと今でも感謝しています。祖父の話も色々聞きました。1930年頃の『世界大恐慌』の時に蒲郡市内にある『弘法大師像』を1日1円をもらって造りに行った事。大勢の男手が集まって完成までに5年の歳月がかかったとも言っていました。第二次世界大戦時中に名古屋の工場へ召集されて、真っ赤に焼けた鉄の炉に落ちかけた事なども聞きました。お盆になると遺影を見て色々な事が、懐かしく思い出されます・・・。

 私の祖先には、歴史に名を刻むような人はいませんが、現在の私が有るのは先祖がいたからこそです。先祖を偲び尊ぶ、先祖を敬うことが大切だと思います。先祖だけではありません。偉大な功績を残した人々を含む先人が何を思い、何を成し得ようとしてきたかをよく考えて自分は何をしなければいけないかを導き出す必要があると思います。その上で自分を伸ばしていくこと、その意識を持つことが大事です。私たちの日々の仕事にも生かせるよう努力を積み重ねていきましょう。

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