第268号 どうする!

2023-04-30
第268号 どうする!
writer:杉 浦 秀 幸

新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言が初めて発令されてから3年が経ちました。当初は様々なイベントが中止になり、外食も控えるなど感染の恐怖におびえて街は閑散としていました。最近になりやっとマスクの着用は個人の判断に委ねられ、コロナ禍での行動制限は緩和されてきて、以前のようにイベントも行われるようになってきました。今年のゴールデンウィークの人出はコロナ前の水準に戻ると言われており、またゴールデンウィーク後からは感染症法上の位置づけが5類に引き下げられるようで以前のように日本中が盛り上がり更に楽しいことが増えることを願っています。

 
  さて今回は私が最近楽しみにしているものを紹介したいと思います。それは今年1月8日にスタートしたNHK大河ドラマ【どうする家康】を観ることです。皆さんご存じのように家康公は岡崎で生まれ、天下人となり江戸幕府を開府された方です。天下人になった方がどのように決断して乱世を生き抜いてきたのか興味が湧きました。また、物語の舞台は私が住んでいる三河地方ということもあり観ることにしました。決断を迫られた時に「どうする?どうする!」と悩む家康公に「殿、お指図を!」と家臣たちが追い打ちをかけるように迫る場面があり、どのように決断をするのかワクワクしながら観ています。ドラマを観る前の家康公のイメージは天下人になった方なので明確な判断基準を持っていて何も迷うことなく決断してきた統率力の優れた方だと思っていました。しかし、ドラマの中では違い、家臣たちに色々と言われて悩み考えた末に決断しています。実際には統率力の優れた方だとは思いますがドラマなので面白く描かれています。

物語は三河地方から始まりますので私の知っている地名や場所などたくさん出てきます。私が住んでいる豊橋市には吉田城があります。城の近くには歴史案内板などたくさんあり、家康公に関係する事柄もあります。その中の一つに家康公が13歳の時に安久美神戸神明社で行われた鬼祭の神事を観覧した時に社殿前の松の根元に腰かけたとされる記録が残っているようです。今はその場所には松ではなく石碑が建てられています。鬼祭とは1000年以上の歴史を有するお祭りで、家康公もご覧になっていたとは知りませんでした。また、城の近くには豊川が流れていますがここも深い関係があります。家康公は桶狭間の戦いのあと、当時の主君であった今川氏真から独立しようと考えました。正室の築山殿と子供たちは今川家に残されており、人質交換をすることで取り戻すことになりますが、その交換場所が吉田湊(豊川)で引き渡されたと記録があります。さらには吉田城の歴代城主にはドラマにも登場してきます『海老すくい』の踊りを披露する酒井忠次がいます。この方は『徳川四天王』と云われている家康公の側近として忠義深く仕えて開府に大きく貢献した方で、城主であった当時は東三河を任されて統率されていたようです。約460年前の出来事ではありますが豊橋も家康公と深くつながりがあるのです。

ドラマを観ていて毎回感じていることは「どうする!」と迫られた時は戦国時代での1つ1つの決断は運命を左右する事になる為、相当なプレッシャーがかかり安易な決断は出来ないと思います。瞬時にしないといけない場合もありますが、それ以外は決断する前に家臣たちの意見を聞き自分で出来得る最大の事をしているように思えます。全て正しい決断が出来る訳ではありません。それで方向が間違っても再度挑戦して天下人となったのでしょう。家康公の名言に『決断は実のところそんなに難しいことではない。難しいのはその前の熟慮である。』と残されています。私の仕事でも決断しないといけない場面はたくさんありますが正しい決断ができているのか不安になることもあります。そんな時は家康公の言葉を思い出して事前によく考え、段取りやシミュレーションを行い決断したいと思います。
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