【三和新聞】174号

2015-06-01
第174号 愛しのハーレー子ちゃん♪
writer: 新妻 吾郎

脳が朦朧(もうろう)としたまま、ゆぅーっくり目が開いた・・・理解はなかなか出来なかったが、そこは『ICU(集中治療室)』だった。<一体、何が起こったのだろう・・・?>踏切のようなカンカンカン!とした音。ビービービー!という神経を逆撫でするような、本当に嫌な音。管(くだ)だらけに繋がられて体は全く動けない、動かない。鎮痛剤に使用されたモルヒネは幻覚と現実を混乱させ、次々と運び込まれてくる救急患者は、生と死が間近で分かれていった・・・。<次は自分かも知れない・・・>生き地獄のような状況に『自分』を保つのがやっとだった。声を出そうとしたが、何か詰まっているのか思うように出せない。忍び寄る恐怖と裏腹に「目覚めた!」という医師からの報告に妻と妹は号泣した。『生死』という境目を、5日間も彷徨っていたからである・・・・・

頭がい骨骨折から足先まで、色々なトコが壊れていた。全治6ヶ月と診断。さて、何が起こったのか・・・。3月下旬、仕事の関係で私は大好きなハーレー子ちゃんに跨り東名高速を東京方面へ走っていた。富士川SAで休憩~富士山を撮り、東京にいる妻へ送り電話もした。そこから約1時間後、事故は起こった。目撃者の方々の証言によると、それまで普通に走っていたバイクが突然!グラグラと揺れだし、追い越し車線にて単独で転倒。約60m滑り続け中央分離帯に激突し、そこでバイクと私は離れ、私は10mほど行った先で止まり、ハーレー子ちゃんは更に約75m、大きく左に曲がりながら滑り続け、邪魔にならない路肩の端で止まった・・・らしい。<後の現場検証での確認・説明を引用>

では、何故そのような事になったのか。以前、三和新聞でも書いたように私は3年前に頸椎の手術をし、痛み止めを今も飲んでいる。事故を起こす1ヶ月ほど前から血圧が上がり、下げる薬も服用していた。また仕事は忙しく十分な睡眠も取れていなかった。そして自分でも分からない『ストレス』もあったのかもしれない。それらの要因と目撃者の方々の証言を合わせて警察および病院が出した答えは『急激な血圧低下による一時的な脳貧血』つまりは失神。『気を失った』との事である。確かにその日、きちんと睡眠は取ったが調子イイという体調ではなかったかもしれないが・・・ただ、単に座っている時でも、ふいに立ち上がった時でも、歩き出そうとした時でも起こり得る症状が、何の前触れもなく初めて起こったのが高速道路の上だった・・・と、いうことである。『何事にも意味がある』とするならば、何の意味があったのだろうと今回ばかりは思わんでもないが・・・。

『失神』した瞬間に話を戻すが、私の転倒を目撃された方々は観光バスの運転手さんと添乗員さんと乗用車にお子さんの乗せて走られていたお父さんだった。『転んだ!』となった瞬間!減速し、ハザードを出して停めて後続車に『危険』を警告し、救急車を呼んで下さった。私が倒れた、スグ近くに停められた車には偶然にも看護師の方が2名いらっしゃり、気道確保や頭部などの応急手当てをして下さり、数分でドクターカーが到着し、最短距離で救急病院へ搬送された。正に、アンラッキー中にラッキーがイッパイである。この素早い連携と皆様の判断で私の命は救われた・・・感謝して止まない。後日、居合わせた皆様が警察の呼び出しに応じ現場検証にもお立会い下さり<私はまだ、ICUだったので>妻が、改めて御礼をしたいと御連絡先をお尋ねすると<個人の秘密保持が厳しくなった為、本人の許可がないと警察が教えてくれない。>目撃そして助けて下さった皆様が一同に【人として当たり前の事をしただけですから】・・・と。今、この場をお借りして、読んで頂けると思えないがお礼を述べたい。本当に、本当に有難う御座いました。

今回の事故は、会社経営トップとして健康管理の不注意による自業自得であり、本当に反省しております。多大なご迷惑とご心配をお掛けして本当に申し訳御座いませんでした。心奥深く責任を感じております。そして、2度とこのような事を起こさない事を誓います。そして・・・感謝をしたい。【命の尊さ】を再認識し、妻と妹と仲間たちに感謝したい。指が、腕が動く喜びに感謝し、健康に感謝したい。車体を犠牲にしてまでも私を守ってくれたハーレー子ちゃんに感謝したい。そして、10月上旬に生まれてくる我が子と出会えることに感謝をしたい。さぁ~蘇ったワタクシは、まだ動かぬ所も多少、御座いますが~精一杯!健康に気を付けて!バリバリガンガン☆頑張りますよぉー♪

 

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