■仕事を終え、家に帰ると愛息・勇吾が私の隣にちょこりんと座り、乾杯をせがんでくる。「カンパァーイ♪」としてやると~コップのジュースをグイグイと一気に飲み干し「プハァ~♪」とため息を漏らした後、「うまっ!うまっ!」と笑顔で言い続ける・・・私の晩酌ライフを思いっきりパクっているのである。まだ1歳半のガキんちょが!末恐ろしやぁ~♪である。困ったコトは似るモノで~やっぱり飲んべえの息子は・・・いや、飲んべえの息子の息子は~飲んべえか!と、責任転換してみたりなんかして・・・。
■さて、前にも触れた事があると思うが~私の名前も、また勇吾の名前も、生まれる前から決まっていた。勇吾はモチロン~私が名付け親である。『吾(われ)、勇気を持つ者なり』という意を持って付けた。字画云々の書物など~未だ見た事がない。インスピレーションのみの勝負である。もし、余り良い字画ではなかったとしたら・・・まぁ~そん時はそん時だ!しかし、思えば~私も自分の字画がどうなのかも、未だ調べた事はない・・・うむ、チト気になってきたぞ!・・・でも、まぁ~いいか。←いいのかい!ということで~ある日、ある時、ある人に言われ~勇吾に用いた『勇気』という言葉を好きになった。それまでは余り好きではなかった。何故なら~小学生の寄せ書きなどでよく目にする『勇気・努力・根性』といったような~それぞれに素晴らしい言葉なのだが~なんやコテコテ感を感じていたからである。しかしその、ある日、ある時、ある人に言われた事はこうだった。
「100人の暴漢に今にも大事な人が襲われそうだ!それ勇気を振り絞ってぇ~って時の、振り絞る勇気も勇気だけれど~勇気は振り絞らなくても大丈夫。勇気は絶えず持ち合わせているモノ。自分を【あるべき姿の自分】として絶えず表現できるモノ。だからどんな角度から衝撃を受けても大丈夫。振り絞らなくても大丈夫。その時になれば~勇気があれば~勝手に心や身体が動き出すから大丈夫。」と。正に目からウロコ、脳天にカミナリ状態である。「コレだ!」と単純~漠然に思ったので、我が息子に命名した次第である。では、先代はどうだったのであろうか?
■自ら改名したいとまで思った【吾郎】の意味合いとしては~<子>や<美>や<代>などが女性の代名詞だった時代背景~<夫>や<郎>などは男性を意味し、つまりは『吾郎=俺は男だ!』という事となり、俺は森田健作や高田延彦じゃないぞー!と、叫んでも~分からない人も多かれと思うので~まぁヒネリがないというか、先代らしいというか・・・。私に【吾郎】の意を説く時の声が今も鮮明に蘇る。「吾郎!男の子はすげぇ~んだぞ!男の子はなぁ~・・・やる!と言ったら、やらにゃぁ~いかん!石にかじりついてでも、やらにゃぁ~いかんのだ!だから、男の子はすげぇ~んだぞ!」と、男女平等のこの世の中で何訳ワカラン事を言っとるのよ!とも思ったが・・・今では~その意味が、よく解る。また勇吾を育て行く上で、声が蘇る事は多々ある。「たかぁーい!たかぁーい!をしていたら、お前は俺に小便を掛けやがったんだぞ!」・・・私も勇吾に掛けられた。「俺が口でクチャクチャってした食いモンを、お前は美味そうに食いやがるんだ!ガッハッハァ♪」・・・私も今、あげている。「お前は俺が屁を掛けた御陰で大きくなったんだぞ!」・・・お下品だが~私も、よく、やる。つまりは~全くもって同じコトをしているのである。・・・何かに導かれるように、また人生をもトレースしているのか・・・。
■朝、出勤の準備をしていると~外に連れて行ってもらえると思うのか、必死に私の腕を引っ張り、まだ儘ならない発音で「イコか!行こか!」と連呼する。その声を聞くと無性に力が湧いてきて「よっしゃ!行こかぁー!」と、私の朝は今日も始まる。 |