【三和新聞】65号

2006-04-01
第65号 五反田

「お待っとさんでした!」地域密着系都市型エンターテイメント【出没!ゴロ街ック天国♪】私があなたの街の宣伝部長!愛川ゴロ也です!ゴロゴロとお呼び下さぁーい♪(寒)・・・ということで今回はパクリにパクリまくった展開で押し進めていこうと思ふ。さて!今回の「ゴロ街~勝手にスポットタウン」はズバリ!【THE五反田】である♪

4月【第65号】 五反田

【10位】『桜田通り』 五反田のメインストリート。別名~第二京浜とも国道1号線とも呼ぶ。起点は東京都中央区日本橋から愛知県豊橋市を抜け、大阪府大阪市へ至る一般国道である。因みに略すと、東京では「一国(いちこく)」と呼ぶが、愛知では「国一(こくいち)と呼ぶ。「何でだ?」と言われても「知らん!」と答えるしかない。更に因みに並走するが如く走る第一京浜は国道15号線とも呼び、また別名「二国(にこく)」と~TAXIの運ちゃん達の間では話しが通るが、とにかくこの辺りが非常にややこしい。チョイと調べると~戦前から戦後にかけての土地や道路の区間整理に伴い、昭和27年~当時の総理大臣!吉田茂が決めたとか決めないとか?まぁ~それは、さておき・・・要は何となく強引だが、五反田も三和の本社(池上)も豊橋も~全ては国道1号線繋がりなのである!わぉ♪

【9位】『いなげや』 私の両親が初めてのデートの時に歩いた・・・らしい、先程の『桜田通り』を五反田から高輪台に向かって上っていく左手に突如現れる『うなぎのいなげや』ここの鰻はとにかく美味い♪正に口の中でとろける絶品で、先代も通い詰めたらしい。今も私が<スタミナつけにゃ~♪>と思い立つと食わずにはいられない一品であり、豊橋の小杉さんも絶賛した≪匠の味≫である。

【8位】『ミュージックスタジオ』 高輪台の高校に通っていた私は、1年生の時にはアメフト部だったが2年からは帰宅部となり、まぁ~帰宅はせずにバンドを組んで日々、スタジオに入り浸った。ハウリングだらけのスタジオに<生きてる充実感>なんぞを憶え、ド下手なクセにライヴに明け暮れ<プロになろう♪>なんて真剣に思ったりもした。今ではメンバー誰一人「音楽」に携わる仕事に就いてるヤツはいないが、コーヒー牛乳に何故か柿ピーを添えて「お疲れさん♪」と言って出してくれるスタジオのオッちゃんやミーティングで使った喫茶店の「K1」や、帰りがけの屋台のにんにくラーメンなどを思い出すと<もう1度スタジオ、入りてぇ~な・・・>なんて、ほのかに夢見る37歳の春である。

【7位】『居酒屋 一力』 五反田繁華街「壱番街」のド真ん中に居を構える炭火やきとりの一力。元料亭の板前だったらしい~おやっさんは頑固一徹のハイカラオヤジ。バーバリーのバンダナが今日もキリリとコメカミ締めてます♪とにかく、どの串食ってもハズレ無し!食事の締めには店のサービスで出してくれる鶏ガラスープはマジ美味の激ウマ♪私はコレを飲む為に通ってるようなモン!・・・近くにお越しの際は是非一度お試しあれ!

【6位】『駅前交番』 斜向かいには~在庫は日本一とも言われる葉巻・パイプの専門店『野村たばこ店』が存在し~当時は、よくソコで学校帰りに【タバ子】を買い求め、よく裏の公園で、たむろって吸っていると~よく通報され~よく捕まったモンである。駅前交番内の二重扉を抜けて中に入ると巡査は豹変して学生達を怒鳴り散らす。あの時の積年の怨みを今、晴らさずに置くべきか!いや、すぐ通報した住民らに怒りをぶつけるべきではなかろうか!・・・いや!煙草吸ってた自分達が悪いだろ!と、冷静に物事の良し悪しの判断がつく37歳の春である。←なんのこっちゃ。

【5位】『目黒川』 一時よりは綺麗になったと云われるが~まだまだ汚いと私は思う・・・が、春になれば中目黒辺り~桜は満開♪とても綺麗。しかし、そんな事よりも私が24歳の時、当時6年間も付き合った彼女と別れ、その悲しさの余り泥酔して橋から飛び込み、死にかけた事がある~思い出深い川である。

あれ?・・・これから!ってトコで文字数がオーバーしてしまうので書き切れない!なので今回は、またも久々~二部構成にしようと思ふ。しかし!今回から部課長の新聞記事担当の廻り順をまた変化させるので~私の登場は~次回、9月号・・・忘れないでね♪

Copyright(c) 2009 SANWA KIKO CO.LTD All Rights Reserved. Design by 三和機工株式会社