【三和新聞】124号

2011-04-01
第124号  心は、ひとつ!
writer:新妻吾郎

「地震だ!」・・・私はその時、愛知県は豊橋~会社の会議室にいた。なので、揺れ自体はさほど大きくはなかったものの、その揺れの長さに恐怖した。そしてTVをつければ、あの悪夢のような映像が。すぐさま宮城県に住む伯母へ電話を掛けたところ奇跡的に繋がった。電話の向こうからは「まだ揺れてる!」という悲鳴にも近い声と共に、ガラスが割れたような音が。「危ないから外に出るわ!」という言葉を最後に電話を切られてしまった。そして東京に連絡をするも繋がらず、繋がらず・・・。大津波警報のため会社業務を停止し、社員を帰した。事態はめくるめく悪化し、東海道新幹線は止まり、東名は大渋滞の上~清水ICから通行止め。首都圏に帰る交通機関が絶たれてしまった。『さて、どうしたものか』私は会社においてあった250CCのスクーターバイクで帰ることに決めた。

4月【第136号】 心は、ひとつ!

豊橋を出たのは夕方の5時、大渋滞の東名をすり抜けながら走るも~やはり清水ICからは通行止めのため強制的に降ろされた。太平洋側は危険区域となり警察によるバリケードが張り巡らされ、内陸側に大きく迂回するルートしか選択肢は無かった。山間部では余りにも狭い道幅+対面通行が『我先精神』で車同士がカーブでハマり合い、前にも後ろにも進めない。なんとか富士市まで来るも町全体が停電状態。信号機も動いていないので、そこら中の交差点で急ブレーキの音がする。真っ暗な町に救急車と消防車のサイレンの音が鳴り響き、まるでゴーストタウンだ。箱根峠では電光掲示板は『マイナス3℃』を表示していたが、バイクで走る体感温度はマイナス7~8℃か。『凍結注意』の看板と共に脇道は雪が積もっている。更に水道管が破裂したのか、所々~川のように水が流れていて前を走る車や対向車が跳ね上げてはシャワーのように降りかかる。指先の感覚は殆どなく、神経を磨り減らすブレーキングに心折れそうになったが【何としても帰るんだ!】という思いだけで走り続けた。家に辿り着いたのは夜中の2時半すぎ、通常なら4時間ほどで帰れる筈が、9時間以上かかった。寒さで身体はブルブルと震えながらも、スヤスヤと眠る息子の顔を見て【無事で良かった】と・・・。

宮城県に住む伯母(母方の姉で今年79歳、81歳の伯父と2人暮らし)も無事だった。家も倒壊することなく無事だったが『電気・ガス・水道』のライフラインが全て失われた。真っ暗で寒い夜を幾度となく揺れる余震と過ごす・・・。まず『電気』が復旧したが、震災から6日後の事である。家を流され、大切な人を亡くされ、避難所生活を余儀なくされている方々の心中をお察しすると、本当に言葉に詰まる。そして、救援物資やライフラインが未だ行き届かない区域も沢山あるのである。私は東北道の復旧を待ち、社員達の協力を得て救援物資を調達し、2tトラックにて愛知から届けることを決めた。東京で妹と合流して、いざ宮城へ。一番懸念したことは運搬途中に大きな地震がきて、東北道が通行止めになることだった。2tトラックでは寒さはしのげても、流石にすり抜けは無理である。あと懸念材料とすれば~多少の放射能か?とにかく天候は最悪だった。風速14mの強風と豪雨、そして夜は猛吹雪。東北道は所々、震災による亀裂や破損を修復した跡が見られ、その路面段差がカナリ酷く、皆ガッタンガッタンと『チン寒ロード』の連続のように走っていく。途中、ラジオから地震速報が流れ、直ぐさま電光掲示板で『地震!50km規制!』と出るが、地面の揺れだか路面の揺れだか解らない。各サービスエリアの給油所は大混雑~燃料はギリギリ・・・。何とか福島を越え宮城に到着し、救援物資を届けることは出来たが・・・避難所になっている小学校に給水車が来てポリタンクに水を入れ皆、下を向いて歩いている。私も並んでボランティアの方々と水を運ぶ、運ぶ、しかし、足りない、何もかもが、足りない・・・。たった2日間だけだったが~蛇口を捻れば水が、栓を開ければガスが、スイッチを押せば電気が・・・という【当たり前のこと】が、どれだけ有り難いかということと自分の無力さを痛感した。伯母の居る地域は3月30日現在、まだガスが通っていない・・・。

甚大な被害状況は日々膨れ上がり、震源地の持ち回りのような地震は未だ頻発する。多少の揺れではビビらない『揺れ慣れ』や、揺れてもいない『揺れグセ』が身体に染みついて、三半規管がおかしくなる今日。ジワリジワリと押し寄せる経済的な震撼はこれからだろう。4つのプレートがひしめき合う、この原発大国日本の復興は問題が山積みで長丁場だ。ただ計画停電をはじめ、節電で街は≪暗い光り≫だが、みんなで協力していると思えば気持ちは≪明るい光り≫となる。【今、自分ができること】を持ち寄って、この『大震災』という試練を【心、ひとつ】に乗り越えたい。

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