【三和新聞】164号

2014-08-01
第164号 はいむるぶし
writer:  新妻吾郎

結婚式しました。その場所は沖縄から400km南下した石垣島と西表島に挟まれた、NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』でも有名となった小浜島(こはまじま)から更に!ボートに乗って約15分。八重山諸島の島々のひとつ・・・サンゴ砂が堆積(たいせき)してできた白い砂浜『浜島』であり、干潮時に三日月の形をして姿を現すことから『幻の島』の愛称で親しまれている島である―――。何故に、そのような最果ての地で挙式を行うことになったのかと云うと~時間(とき)は35年ほど前に遡(さかのぼ)る・・・。

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どなたから聞いてきたのか?定かではないが、ある日~突然、先代が「おい!南の島に行くぞ♪」と言い出した。「なんか凄いイイトコロが出来るらしい!」というアバウト過ぎる情報を元に、羽田から沖縄・石垣と飛行機を2回乗り継ぎ~小舟で約1時間弱。当時は便数も少なく、舟のスピードは遅く、本当に丸一日掛かりでやっとこ辿り着いたソコに【はいむるぶし】があった。『マリンリゾート』なんて言葉も国内には、まだ存在しなかった時代であるが、青い空はモチロンのこと、エメラルドグリーンの海に、白い砂浜はよく見ると『星の砂』と呼ばれるサンゴで埋め尽くされていて、潜れば~深さ30m以上も見通せる透明度満点の海底に巨大テーブルサンゴをはじめ様々なサンゴ礁と無数の熱帯魚が泳ぎ回っていて、まさに『竜宮城』ってココなのか!状態であった。夜は『ティンガーラ(天の川)』から北半球では観ることの出来ない南十字星を中心とした南群星・・・沖縄地方の方言で【(南)はい・(群)むる・(星)ぶし】が夜空を飾る、まさに楽園天国である。当時、私は10才。ちょうど今の愛息と同じ年であり、家族全員が【はいむるぶし】に魅了され『はいむる病』となり、それから私が中2ぐらいまで夏の家族旅行は毎年【はいむるぶし】だったのである・・・実に、バブリー時代の話しである。

【はいむるぶし】STAFFでOPEN当初からいらした山本さん&長谷川さんには本当に新妻家は御世話になった。私はおふたりから、スノーケリング・ダイビング・フィッシングからナイフの使い方・水上スキー・ウィンドサーフィンなど~あらゆるマリンスポーツの技術と魅力を教えて頂き、また自然の大切さと怖さ、そして人間の尊さと残酷さを教えて頂いた。レジャーランドは発展が第一優先だが、人が入ることによる『自然破壊』のジレンマに「海を守りたい。島を守りたい!」と、いつも山本さんは仰っていた。子供ながらに今でも鮮明に記憶に残る刺激であり、教えを頂いたのである・・・。暫くして母が逝き、家族の思い出の場所として先代と妹と3人で【はいむるぶし】へ行ったら、母の1ヶ月前に山本さんが他界されていて・・・本当にショックだった。そして、先代が逝き、山本さんと名コンビだった長谷川さんは【はいむるぶし】の社長となり、お逢いに行ったら北海道の【キロロ】に転勤されていて、ツーリングで【キロロ】に寄ったら【はいむるぶし】に戻られた!と何度もフラれてしまい、また暫く時間(とき)が流れてしまった・・・。

家内と挙式をするなら【はいむるぶし】と、昔ながらの夢を語ったところ、二つ返事で承諾してもらい、今回に至ったのである。長谷川さんとも連絡が取れて約30年ぶりに熱い熱い抱擁ができた。最高な最果ての地に親族から大切な仲間たちも集まってくれて、7月では過去最強クラスの恐れと言われ『特別警報』が発表された台風8号の大接近もあったが無事『幻の島』で【私達らしい結婚式】を挙げることが出来たのは、陣頭して下さった山本イズムの後継者!佐俣さんをはじめ【はいむるぶし】のSTAFF全員に感謝して止まない。また祝電・SNS・直電!様々な形でお祝い下さった皆様方にも、この場をお借りして感謝したい。本当に有難う御座いました。そして、山本さんが教えて下さった「旅の人 島の人を同じように愛しなさいネ♪」と、さとして下さった様に、私は有紀を愛し、親族を愛し、仲間を愛し、会社の仲間を愛し、また山本さんのように皆からも愛され親しまれる、懐の澄み深い男になる事をここに誓います―――――。

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