第265号 ☆青い春☆

2023-01-31
第265号 ☆青い春☆

writer:新 妻 吾 郎

 2月である。まさに受験シーズン真っ只中である。実はワタクシ『中学受験』をした経歴がある。小学4年生から、せっせと塾に通い~受けた中学は、高校→大学へとエスカレーター式に進学できる早稲田と明治の2校だ。第一志望の早稲田にはフリーフォールのような気持ち良さでスコーン♪と落っこちて、滑り止め?の明治には補欠で一応~受かったのだが「俺は絶対~早稲田へ行く!」と、何を血迷ったのか?なんの根拠もない自信とこだわりで中学は地元の学校に進学した。そこで、今でもよく呑む悪友たちと中学の3年間を遊び呆けて、気づけば私は途轍もなく『アホ化』していた…。さぁ~て、そして高校受験!一夜漬けで何とかなったワケではないが11月・12月・1月と、上がり3ハロンじゃないが~3カ月間は必死こいて勉強して、なんとか東海大学の付属高校に合格することが出来たのである♪←もうこの時点で『早稲田』はドコかへ消え失せた…(苦笑)

 高校生活が始まって、私はすぐさま『ラグビー部』の設立に意欲を燃やした。その高校は何故かアメリカンフットボール部があるのにラグビー部は無かったからだ。中学時代はサッカー・水泳・陸上と3つの部活を掛け持ちで体を動かしていたが、高校に入ったらラグビーをしたい!と頑(かたく)なに思っていた。本当に、ただ漠然と『青春=ラグビー』と幼き頃の(当時6才)青春ドラマに感化されていたからだと思う。そのドラマは1974年放送の中村雅俊さん主演で『われら青春』というドラマである。主題歌の『帰らざる日のために』は当時6才の少年の鼓動を高鳴らせた。「生まれて来たのは何故さ!教えて僕らは誰さ♪」の歌い出しから~サビは「愛する人がいるなら 求めるものがあるなら なんにも怖くはないさ!そいつが青春♪涙は心の汗だ! たっぷり流してみようよ! 二度と戻らない今日のために♪」…と、チョット寒くなるような歌詞に心は熱く燃えたぎっていた。更に!同じ学園スポ根のラグビードラマ『スクール・ウォーズ』1984年放送(当時16才)がドンピシャにハマって、私は部員を募り奔走(ほんそう)した・・・。

 高校は東京の港区高輪にあり、赤穂浪士四十七士のお墓がある事でも有名な泉岳寺の隣である。つまりは都会の一等地なので、校庭がメッチャ狭い。今は総合グラウンドがあるようだが、それは埼玉県の『さいたま新都心』(電車で高校から約1時間!)にある!←遠い。校内にはテニスコートが1面取れるぐらいのスペースしかなく、しかも!グラウンド面はアスファルトである…。それでも入部希望者は30名を超え、品川の当時は河川敷だった所を練習場所に押さえて何とかイイ所までこぎ着けた。しかし思わぬ問題が立ちはだかった。顧問になってくれる先生がいないのだ。実は数年前までラグビー部は存在していて、練習中の事故で1人の生徒さんが亡くなられた事で廃部に。なので、何人もの先生に頭を下げて回ったが…首を縦に振ってくれる先生には出会えず、夢は潰(つい)えた。よって翌日『アメフト部』に入部した…。

 さて、ラグビーでは『One for all, All for one』…この言葉が有名だが『1人はみんなのために、みんなは1人のために』と、解釈されがちだが…実は違うようである。本来の意味合いは『1人はみんなのために(ここまでは一緒だが)みんなは1つの目的のために』なのである。ここでいう【目的】はラグビーでいうと【トライ(得点)】である。ベタだが、とても素晴らしい言葉だと私は思う。それでは、会社にとっての【目的】とは・・・・・

 10年前の頚椎(首)のヘルニア手術で(去年は腰椎ヘルニア手術…アメフトのお陰?カモ)今も、4ヶ月に1度~京都の脊椎病院に通院している。その京都駅から病院へ歩いて行く道中~ラグビーのオーナーさんであろう飲食店がある。そこにはラグビーボールの絵と【楽苦美】と書かれていて、それを見るたび【青い春】を思い出す。

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