【三和新聞】212号

2018-08-30
第212号 先祖を敬う
writer: 小 林 照 宜

 今年は記録的な猛暑が続いていましたが、皆さん如何お過ごしでしたでしょうか。昔は暑くても28度前後、年間を通しても30度を超える日は数える程しか無かったように思えます。ところがここ数年は30度を超える日が何日も連続し今年に関しては35度を超える日が続き、最高気温は埼玉県の熊谷で41.1度を記録しました。以前では考えられないような暑さです。熱中症で病院へ搬送される人の数も今年は過去最多だったそうです。我が家では朝、気温が高くなる前からエアコンを付けて夜寝る前までエアコンを付けっ放しにしたり、休日出掛ける時に水筒を忘れずに持って出るなど熱中症にならない様に注意していました。このような異常気象が年々酷くなっていくように思えて心配になってきます。

 夏になると、やって来るのが『お盆』。お盆になると実家の仏壇の前には沢山の位牌が並びます。私の実家は歴史だけは古く、一番古い位牌はなんと宝永5年の物まで有ります。西暦にすると1708年、日本の年号では江戸時代の徳川第5代将軍綱吉の時代になります。今をさかのぼること300年余り・・・その時の暮らしがどうだったのか、またその時代そのものに思いを馳せます。位牌の数は全部で35柱・・・300年という年数からすると少し少ない気がしますが、かなり昔のことですので、お寺で調べてもらってもよく解らなかったとの事です。我が家の代にすると相続的には私が長男なので、私が11代当主になります。これだけの歴史があるのならばさぞかし良い家柄と思いますが、何のことはない私の祖先は農民だったらしく、武将や富豪の末裔でもなく只の歴史の古い家なだけです。実家の仏間には昭和初期の頃からの先祖の写真が飾ってあります。私からみると高祖父(ひいひい爺さん)からの物が有ります。遺影が無かったので、私の父親が古い写真を探して大きく引き伸ばして飾ってあります。

 私の一番身近なご先祖様は祖父です。祖父は昔商売をしていた私の家に婿養子に入り朝から晩まで一生懸命に働いたそうです。父母の代になってからは商売で忙しかった父母に代わり『姉・私・弟』の世話もしてくれました。私たち『孫』の世話も落ち着き少し時間が出来てくるとボケ防止にと『株』を始め、家にいる時はいつもラジオの株式市況を聞いていました。私が24歳の時に亡くなりましたが80歳で亡くなる数日前までラジオを聞いていました。私が幼少の頃、証券会社に行く為に豊橋や名古屋へ連れて行ってもらった記憶があります。名古屋へ行く時は、わざわざ豊橋経由で私が好きだった名鉄の『パノラマカー』で行ってくれました。『パノラマカー』は運転席を2階に移した真っ赤な展望電車で、独特なミュージックホーンも印象的でした。名古屋へ行くと祖父の用事の済んだ後に東山動物園や栄のテレビ塔へ行ったりもしました。遠い所では大阪の万博にも連れて行ってくれた事もあります。当時、私は小学1年生で大変だったと思いますがよく連れて行ってくれたものだと今でも感謝しています。祖父の話も色々聞きました。1930年頃の『世界大恐慌』の時に蒲郡市内にある『弘法大師像』を1日1円をもらって造りに行った事。大勢の男手が集まって完成までに5年の歳月がかかったとも言っていました。第二次世界大戦時中に名古屋の工場へ召集されて、真っ赤に焼けた鉄の炉に落ちかけた事なども聞きました。お盆になると遺影を見て色々な事が、懐かしく思い出されます・・・。

 私の祖先には、歴史に名を刻むような人はいませんが、現在の私が有るのは先祖がいたからこそです。先祖を偲び尊ぶ、先祖を敬うことが大切だと思います。先祖だけではありません。偉大な功績を残した人々を含む先人が何を思い、何を成し得ようとしてきたかをよく考えて自分は何をしなければいけないかを導き出す必要があると思います。その上で自分を伸ばしていくこと、その意識を持つことが大事です。私たちの日々の仕事にも生かせるよう努力を積み重ねていきましょう。

Copyright(c) 2009 SANWA KIKO CO.LTD All Rights Reserved. Design by 三和機工株式会社