【三和新聞】68号

2006-07-01
第68号 好き嫌いありますか?

スポーツといえば、サッカーワールドカップドイツ大会が6月9日に開幕し世界中が盛り上がっています。日本でも熱をいれて応援しているサポーターが大勢います。小生がサッカーに興味を持ち始めたのが、1968年メキシコオリンピックで日本が開催国メキシコに勝って銅メダルを獲得した試合を観てからです・・・。

7月【第68号】 好き嫌いありますか?

得点王に輝いた釜本をはじめ、杉山、横山、宮本、小城・・・フェアプレー賞を受賞したチームや1950年17歳でデビューした神様ペレを知り、ますます興味を持ち始めました。今ほどサッカーファンは多くなかったと思いますが、子供の頃の憧れでした。その後はサッカー人気も低下(以降は世界大会に出場できていないからか?)して、試合観戦の観客はまばら、プロアマの違いはありますが今と比較したら雲泥の差、女性ファンも多いし・・・。1998年に24ヶ国から32ヶ国に増やした大会に、日本が始めてW杯本戦出場、その前の1994年大会予選の、1993年10月カタールのドーハで、イラク代表との最終戦ロスタイムでの同点ゴールで、日本の予選敗退が決定(ドーハの悲劇)残念だった。サッカーファンでなくても知っていることを書いてきましたが、最近の試合を見ていてものすごく気になるのが、ちょっとした接触プレー(実際はそうでないかもしれないが)でもすぐに倒れるシーンが多い。演技?

実は小生はサッカーよりラグビーが好きなんです。ラグビーとの出会いは中学生の時で、生まれ故郷は高校、大学、社会人とも国体優勝の経験があり、ラグビー王国と言われていました。特にラグビー全日本選手権7連覇達成した社会人チームが有名です。小生が中学の時にラグビーを指導してくれたのが社会人国体選手に選ばれ、小生の家から50mほど離れた家に下宿していた先生です。体の小さい小生は何回タックルで弾き飛ばされたか、又フォワードのスクラム練習にも参加。翌日は首が筋肉痛で首を動かせない。部活ではなく少年団としての活動だったが当時中学生でラグビーをしている学校がなく対外試合経験はありませんが雪の積もったグラウンドで楕円のボールを追いかけまわした日が懐かしい。高校は当時のラグビー名門高校に進みポジション、スクラムハーフの補欠の補欠として、ベンチ外で大活躍(自己満足です)後体力の限界を感じ一年で退部。卒業後は同級生とよく1月15日(今は違います)の全日本選手権を見に国立競技場に通いましたが、遠距離になったこともありますが最近はテレビ観戦です。小中高校生の頃は体を動かすことが好きで色々なスポーツを体験しました。ちなみに今人気の亀田三兄弟同様ボクシングも経験しました。当然試合経験はありません。

体を動かすと当然食欲も出てきます、小生は食べ物の好き嫌いはありません。ただ食わず嫌いです。見た瞬間のイメージで箸を出すか否か、でも子供の頃どうしても食べれないものが二つありました。まずはレンコン・・・虫が食べたような穴があいて美味いの?それからホヤ・・・どう表現していいのか、今現在はどちらも食べられるようになりましたが、ホヤは釜石産でないとだめ。始めて口に出来たのが、叔父さんのいる釜石、ラグビー全日本選手権7連覇(しつこいネ)を達成した新日本製鉄釜石のある釜石市の、取れたてのホヤ(姿はグロテスクです)でないと、箸が進まないかも。食べ物の好き嫌いって何故あるのかな?母親の影響?どうなんでしょうか?

「好きこそ物の上手なれ」でしたかネ、小生の知っているうら若き女性の話ですが、彼女は高校卒業後専門学校に通い子供の頃から夢だった仕事につきました。半年位経った頃の手が荒れて、とても20歳女性の手とは思えないほど荒れていました。小生の田舎が農家であり、母親や近所の女性たちの荒れた農家の手を見てきましたが、それ以上にひどいそんな状態になっても仕事を辞めることも休むことも無く、さらに1年経過しましたころ、彼女の手はとても痛々しく目をそむけるほどの荒れ様でした。小生が同じ立場であったら、病院通い、職を替えることを選択したと思うが彼女は、塗り薬だけで頑張り通していました。更に1年半が経過し、勤め先は替えたが同じ職業を継続し、彼女の手は全快ではないが治りつつある。当時彼女は全く職業を替える事は考えていなかったそうです。何故と聞いたら『好きだから、覚えて上手くなりたかった。』すごく印象に残っている言葉です。好きになって周りが見えにくくなる恋愛以外、小生も見習いたい。

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