【三和新聞】71号

2006-10-01
第71号 剣を読む

長さは2尺4寸(72.72cm)、元幅1寸(3.03cm)、反りは7分(2.12cm)、柄頭は鉄、柄は鮫皮で包み、目貫なし、青黒い板目肌・・・。鍔の鍍金も鞘の漆も剥げている。銘は入っていない。青黒い地肌と叢雲のように群がった刃紋をじっと見つめていると、心身共に吸い込まれてゆくような底なしの深みを帯びている。この剣を手にすると、どのようなことでも達成出来そうとの気持ちが腹の底から湧き上がってくるようである。今読んでいる森村誠一著の「人間の剣」の【無銘剣】のキャッチフレーズである。

10月【第71号】 剣を読む

本は好きでよく読む部類にいると自分では思っている。この本との出会いは、初めは何気なく、短編の読み切り小説がどちらか言うと好きであったのと、書店でも「時代小説」のブースを設けており、ちょっと立ち寄ったところに厚手のその本があった。中をパラパラと開いてみると、歴史上の人物像を扱った短編集が並んでいた。それが森村誠一著の「人間の剣」であった。読書もひとつの趣味で今回はその著書について書いてみたが、自分は評論家でもなく、著者に対してどうこうの言う立場ではないが、最近読んだ本の中で何かはわからないが?何かを感じたことは確かであった。

本著は桶狭間の戦いから徳川家康が没するまで描いた「戦国編」、江戸幕府の栄華盛衰の「江戸編」。桜田門外の変に発する「幕末維新編」と続き、2.26事件から記憶に新しい御巣鷹山日航機墜落の「昭和動乱編」までの「無銘剣」の旅路を、歴史上の人物や人知れず散っていった町民、農民の無念を描いている。まだ「戦国編」「江戸編」と「幕末維新編」の途中までしか読んでいないが、その中で印象に残った2編を紹介したいと思う。

最初は織田信長を本能寺で討った明智光秀の話である。織田信長が英知の誉れ高かった徳川家康の息子信康を、自分の天下統一に邪魔との考えから冤罪を理由に腹を切らせた。明智光秀は信長が家康を接待する為の接待役に命じられ、居並ぶ武将の前で無念の恥をかかされ、家康、光秀両者の信長に対する大きな恨みに増幅されていった。家康は光秀の信長に対する無念は自分の無念につながるものとの考えより、手元にある「無銘剣」を光秀に与えた。人間の怨念、無念が封じ込められた「無銘剣」を手にした光秀は信長に対する怒りを露わにし、家康の怨念と共に本能寺へと進んでいった。信長49歳の人生に終止符を打たせた運命の剣として著したのは面白い。

次ぎに徳川綱吉の「生類憐みの令」が発布されていた時代の物語である。1人の鷹匠がいた。その時代の鷹匠にとって鷹は家族同様であった。鷹を「令」によって取り上げられたりする鷹匠がいる中で、密かに飼っているものもいた。父親の病のために燕の黒焼きを料理した鷹匠が、「生類・・・」に叛いたとの事で犬に食わせられるという厳罰を受けた。犬小屋に囚われた鷹匠は、鷹が「無銘剣」を持って空中を舞っているのが見えたその時、凶暴な犬たちが放たれ鷹匠に襲い掛かった。瞬間鷹より「無銘剣」が落とされ、その無類なき剣の威力により一命を取りとめた。このように「悪令」は大小の差はあるとしても、いつの時代にもあるようだ。
この著書は横暴な権力者の中でたくましく生きた人間の物語であるが、人間とは何か、どう生きればよいかなどを考えさせられる反面、現代に通じる一面を描いていると思う。

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