【三和新聞】74号

2007-01-01
第74号 意味の無いプチ韓流

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。と、皆さんもお正月前は、年賀状を夜遅くまで書いていたと思います。自分もその一人で、今年は、先行逃げ切りで年賀状を早く書き終え、年末は少しでものんびりしようと思い年賀状を書き終えた時に、ふと年賀状の消印場所に目がいき目が点になりガクゼンとしました。年賀状の裏面に「今年は、42歳わたしの干支です○×△も辰年です。」と、なかなかユニークな文面と、干支が印刷してありました。そうです、干支の印刷が辰によく似た猪だったのです。何を、勘違いしていたのか?年賀状が100枚近くパー。もう一度、私の年賀状が届いた方は見てください。辰に見えると思います。ちなみに家族の中では、私一人だけ・・・。

1月【第74号】 意味の無いプチ韓流

昨年の今頃は韓流ブームで、おば様達に大人気の「冬のソナタ」男優ペ・ヨンジュン、私が毎週見ていた「宮廷女官チャングムの誓い」女優イ・ヨンエなど、韓流ブームが続いていました。今は、韓流ブームが少し下火になったと思うのですが?私のプチ韓流ブームの始まりは20年前、88(パルパル)オリンピック開催前の年でした。初めての海外出向が韓国で、しかも2カ月間行って一週間帰国また、2カ月間行くというスケジュールで、初めの1カ月間は、テレビを見ても?街を歩いて看板見ても?スーパーに買い物に行っても?とにかく?・?・?の連続でした。しかし、後半の1ヵ月で、何となくハングル語の挨拶が理解できるようになり、スーパーで買い物をした時でも、店員が金額を話す数字が解るようになり「よし、少しハングル語でも覚えてみようかなどうせ暇だし?」と思い、本を購入し勉強するとまではいかないが毎日、本を眺めていました。ある日、会社の上司が「ハングル語をカタカナ表記で読んで覚えると現地の人に伝わりにくく、覚えるのにも時間が掛かるぞ。ハングル語を覚えるのには生の声を聞いて覚えるのが一番近道だぞ」と、言われたその日から上司と一緒に夜のネオン街に通い始め、駅前留学ノバではないが、その成果はバツグンで韓国の会社の工場長に「最近、ごとさん、ハングル語うまく成りましたね・・・女言葉と方言ですけど・・・」と、聞いた時「何!韓国にも、やはり女言葉があるのか・・そういえばハングル語を覚えるのは、飲み屋のネーちゃんのイントネーション、それとこの街は、釜山から車で3時間ソウルからでも5時間かかる田舎の工業団地、だからなー」と、思った時、工場長が「でも、ごとさんは、ハングル語を楽しく覚えるには、飲み屋の女の子と話すのが一番いいよ、お金は掛かるけど・・・」と、肩をポンと叩いてくれたその人とは、今でも交流があります。

韓国に出向して50日位たったある日曜日、朝6時30分出発の汽車に乗りソウルまで、ぶらり一人旅を思いついたのが前日、計画は全くなしで乗った汽車がこれまた鈍行でソウルに着いたのが昼近く。着いてまずは昼食、皆からはソウルはサンゲタン(若鶏のお腹の中にお米と具を入れて煮込んだ物)が、おいしくて有名と聞いていたのでハングル語の解らない私は、鶏の絵が画いてある看板を捜し歩いたが、歩き疲れた時にロッテリアの看板を見つけハンバーガーで昼食を済ませた寂しい食事でした。食事を済ませ店を出て目に入ったのは南山タワー、あそこまで10分位歩けば着くだろうと思い歩いてみれば20分歩いても着かず汗っかきの私が、30分歩いてやっとの思いで辿り着いた時にはシャツはビショ濡れ状態、汗が引くのを待って南山タワーに登ってソウル市内を一望し、とりあえず感動した私は次に東大門へ。そのまた次は、南大門へ目的も何も無くただひたすら歩いている時、音楽が聞こえると同時に周りの人たちが、立ち止まった。何も知らない私も思わず立ち止まった。私が、小学生だった頃チャイムが鳴ったら立ち止まる、自衛官だった頃は、朝8時と夕方5時に国旗に敬礼をしていた時と同じようなことを、その頃の韓国一般市民も行っていたようです。

日も暮れて、そろそろソウル駅に向かって帰ろうと地図を持たない私は、道に迷い駅の方角が判らなくなりハングル語で道を聞くこともできず困ったあげく「すみません、すみません!」と前の人達に声をかけ、振り向いてくれた人に「ソウル駅は何処ですか?」と聞くと同時に「モルゲスッムニダ!」(訳:ワカリマセン)とハッキリ言われてガッカリ。そこで私は、タクシーに乗ってソウル駅に向かい帰ることができました。・・・もっと早く気づけばよかった。<第1話終>

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