【三和新聞】104号

2009-08-01
第104号 マザコン Thank you
writer:新妻 吾郎

 誰彼問わず男子たるもの~大小はあれども【マザコン】である。なんてったって女性から産まれて来るのだから・・・やはり、それは偉大である。先月、母親の十三回忌を迎えた。つまりは丸っと12年が経過したワケである。・・・少し、お袋のことを振り返ってみようと思う。

8月【第140号】 マザコン Thank you

ブラブラ~っと人生を、まるで浮き草のように彷徨っていたバカ息子が父親の会社に入社することを決めた3日後・・・余りに嬉しかったのか?安心したのか?お袋は家で突然倒れた。全身が痙攣し、意識も無い状態。慌てて救急車を呼んだ・・・1997年、まだ肌寒い春の日の夜のことである。緊急治療室から意識を取り戻した母と話しが出来たのは1時間後ぐらいか。あれほどの痙攣から、まるで何事も無かったかのように笑顔の母がそこにいた。「心配させて悪かったねぇ~」と。安心したのも束の間・・・後の精密検査にて脳内に腫瘍が見つかった。悪性だった。

母と家族との闘病生活が始まった。日中は妹や親戚が、夜には父が、夜中は就職を控えバイトも何もないフリーな自分が看病にあたった。夜中の病院というのは、やはり良いモンではない。どこからともなく、各病室から痛みを訴える声や、悲痛なうめき声が聞こえてくる。気が滅入りそうになるのでTVをつけていると母から「うるさいよ!」と。音楽を聴いていると「イヤホンから漏れる音がうるさいよ!」と。朝ふと目を覚ますと~母の毛布が私に掛けられており「お前のイビキがうるさくて眠れやしないよ!」と・・・全くもって役立たずのバカ息子全開である。

脳内の腫瘍を切除する緊急手術を受けた。手術自体は成功した。しかし、新たなる事実が判明した。細胞分析をするにあたり原発巣は別の箇所にあると。つまりはリンパ節を通じ、ガン細胞は母の全身に転移していた。『余命3ヶ月』・・・突きつけられた診断結果は残酷なものだった。目の前で起こっている出来事が、どうか夢であって欲しいと何度も願った。絶望に暮れている家族をよそに母はその現実を淡々と・・・まるで全てを受け入れたかのように・・・「こうなっちゃったモンは仕方ないね・・・。」

新妻家には1つのルールがあった。それは半分冗談のようで~ほぼ本気の掟(ルール)。それは誰か家族が病気で倒れた時、その病名や余命を包み隠さず本人に話そうと。ドラマや現実でも起こり得る「本人にはとても言えない。黙っておこう。」パターンは絶対無しよ!ということを事前から家族で話し合って決めていたのである。乱暴なのかも知れないが、それは『本人のためにならない』というウチのルールなのである。なので、母は限られた時間を有意義に使うことに努めた。担当医との徹底したインフォームドコンセント(十分に説明を受けた上で同意すること)から放射線治療・抗ガン剤療法・・・出来る治療は全て受けた。その間、外出許可も取れ~母は家に帰り、全てのことを整理した。そして「奇跡が起き、改善するなら~それは良し。もし・・・もうダメだなぁ~って時は、いつまでも延命措置的な機械や管は要らないから・・・外してね!」と・・・。

母の容態は願いとは虚しく、改善の方向には向かわなかった。徐々に母は衰弱していった・・・。また暫しの真夜中のふたりの時間が流れた。思いは沢山あった。伝えたいことも沢山あった。でも、黙って一緒の時間を過ごした。ある夜、痛みを緩和させる為に背中を擦っていると~ふと母が言った。「アンタ!アタシが生きてる間に『今まで育ててくれてありがとう』とか・・・なぁーんか、そーゆー感謝の言葉はないんかい?」私は言った。「まだ・・・大丈夫だろ。」母は痛みに耐えながら・・・笑った。そんな会話がキッカケで、合い言葉のように母は「ありがとうは?」私は「大丈夫だろ?」という掛け合いが続いた。朝方、妹と交代をする際にも「そろそろ・・・ありがとう、じゃない?」私はベッドに横たわる母の頬を、手の平の外側で軽く撫で「・・・まぁ~大丈夫だろ。」と言い続けた。不安はあった。迷いもあった。しかし、元気づける為にと・・・私は「ありがとう」が伝えられなくなっていた。もし、言ってしまったら・・・でも、云えなかったら・・・
「残念ですが、ここ2、3日が峠でしょう・・・」医師からの言葉を呆然と鼓膜が受け取った。もう、頭の中は真っ白だ・・・。真夜中、ふたりだけの時間。母はもう話すことも困難な状態だった。うっすらと開いた瞳を見つめていたら、つい口を突いて言葉が出てしまった。「・・・ありがとう・・・産んでくれて、ありがとう・・・。」それを聞いた母は何度も、何度も小さくうなずきながら「・・・『ありがとう』は、もう言わないで・・・明日も・・・大丈夫だって・・・言って・・・」

翌日の夕方、母は家族に見守られながら静かに息を引き取った。・・・伝えて良かったのか・・・答えは無いが、私は後悔している。なので、謝りたいが、声はもう届かない。たとえ返事が聞こえたとしても、それは自分が作り出した虚像に過ぎないのである。毎日、なんだぁ~かんだと思い出す。忘れることはない。だから時折、死ぬほど逢いたくなることがある。しかし死んでしまっては元も子もないし『最後の最後まで凛として生きなさい』と自らの命を燃やして教えてくれた気がするので、今は精一杯『生きること』を全うし、いつか『お迎え』が来た時・・・あの世で怒られることにする。

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