【三和新聞】113号

2010-05-01
第113号 マイペンライな国でのこと
writer:太田 敏浩

サワデーカップ(こんにちは)!!「タイに出張してほしい。」と、上司に言われたのは去年の9月か10月だったか・・・。それから「タイ」という単語をそれとなく気にするようになり「世界ふしぎ発見」でタイを取り上げていれば観てみたりといった感じで、それでも積極的にタイを調べることはなく・・・ホントに行くのかな?と漠然としたまま月日は流れ・・・で、いよいよ3月上旬から2週間タイに出張してきました。行き先はタイのアユタヤ。場所は首都バンコクから北に100キロ程離れたところにあります。アユタヤ遺跡って有名ですよね!(僕は知りませんでしたが・・・)。そもそも僕の中でのタイから連想できること「ムエタイ」「微笑みの国」「金ぴかの仏像」「象」「トラ」「バンコク」「プーケット」「バックパッカー」といったところでした。そして映像で観る東南アジアはイコール「タイ」なイメージで、昔は機会があれば行って見たいと思っていた国。往きの空港で買ったタイ語の本によればタイ人の国民性はタイ語で「マイペンライ」。日本語で「大丈夫です」という意味らしい。沖縄の「ナンクルナイサ」(なんとかなるさ)に通ずる南国の雰囲気を醸しています。

5月【第137号】 その時、歴史が・・・

タイのスワナプール国際空港に到着して車でアユタヤへ。高速道路で移動しました。高速道路は4車線ほどあり延々ストレートが続きます。周辺は水田が果てしなく広がって、日本の東北道を思わせますが、生えている木と水田の果てしなさは日本と異なります。高速道路にかかわらずトラックの荷台には人が乗っていて、日本の田舎の農道風景が高速道路上にも繰り広げられていました。ホテルはアユタヤ遺跡から10キロほど離れた位置で街までは徒歩で15分ほどです。一般道も主要道は4車線ほどあり、車は高速道路級の速度でぶっ飛ばしています。信号も陸橋もあまりないので反対車線に行くには道を横切ります。僕がビビって躊躇している中、現地の人は悠然と渡っていきます。バイクが多く、形はカッコいいカブ。2人乗り3人乗りは当たり前で、ノーヘルもオーケー。側道の逆走もやってのけます。乗用車はホンダが多い感じです。ドレスアップされたカッコいい車もちらほら見かけます。車が移動する手段に変わった日本と違ってタイは20年前の車好きを彷彿させて懐かしい気持ちになりました。

アユタヤの街は歩道や側道に屋台が広がり、臭いに咽ることもありアジアな雰囲気がありました。コンビニはセブンイレブンばかりが狭い範囲に数件あって、商売になるのかと疑問でした。タイ料理、日本食、焼肉の店があって味も上々です。食事に困ることはありません。トムヤンクンの酸っぱ辛さも慣れれば美味しいし、タイ米のチャーハンは日本で食べるチャーハンより美味しいんじゃないかというくらいです。タイには香辛料が多種多様にあるようで、唐辛子は分かるけど・・・その他の香辛料はさっぱりわかりません。会社の食堂にもいろいろな香辛料が並べられ、それぞれが自分の味付けをしていました。ラーメンのツユはカスタムのし過ぎで原色をとどめていません。

会社のローカルスタッフとのコミュニケーションは英語です。片言の英語とボディランゲージを駆使して仕事を進めます。ヒアリングの苦手な僕は傍から見るとキョドってたみたいです。ローカルスタッフの年齢層は20代半ばで皆一生懸命さが伝わってきました。観光ならば会話の苦労もいい思い出ですが、仕事となれば話は別です。英会話もままならぬまま、ノコノコとタイまで出掛ける自分の駄目っぷりをひしひしと感じてしまいました。ローカルスタッフは陽気な面々だっただけに日常会話も楽しみたかったです。

タイに行って感じたこと。それは島国日本と違い陸続きの国境を持ちながらも「マイペンライ」な国民性を持ち続ける前向きさはスゴイなってこと。そんな前向きさはローカルスタッフの若者にも感じました。タイの人は目がくっきりぱっちりでキラキラしてるんで余計にそう感じたんですかね?まあ「目は口ほどにものを言う」ですから。みなさんすごく目チカラありましたよ。タイの繁雑な熱気は本当にイイ刺激でした。今思えばごちゃごちゃしたアユタヤの街を歩きながら・・・自分も気分は「マイペンライ」だった気がします。今度はプライベートで行って見たいですが・・・・・僕の滞在中に始まったデモ活動は沈静化することなく激しさを増し、政情不安が強まっています。今は一刻も早い平和的解決を願っています。それでは。サワデーカップ!!(さようなら)

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