第305号 忘られぬ言葉
| 第305号 忘られぬ言葉 |
writer:新 妻 吾 郎
あれは3年前だっただろうか?私の後頭部の毛量がチョット少なくなってきたなぁ〜と気にし始めた頃の話である。気には留めているのだが風呂に入って髪を洗って、そのまま髪を乾かす事もなく放置して自然乾燥をさせていた時!それを見ていたカミさんが放った一言が、胸にズドンッ!と突き刺さった。それは「髪を洗ってスグに乾かさないと・・・頭皮にカビが生えて、余計にハゲるよ!」・・・この言葉を聞いた瞬間から髪を洗ったらスグ!ドライヤーで乾かす自分が誕生した。この様に人に言われて【忘られぬ言葉】は皆さん、何かしら胸中にお持ちだと思う。私にも沢山の『言葉』があるが、今回は厳粛に?絞りに絞った言葉を書き綴っていこうと思う。

私が小学校3年生の頃だろうか。先代は柔道家で、半強制的に柔道をさせられた。中央線の水道橋駅で降りて東京ドーム(当時は後楽園球場)を越えてトコトコ歩いていると柔道家であり、教育家でもある嘉納治五郎先生が興(おこ)した柔道の総本山『講道館』がある。その門を叩いたというか、叩かされた。武道をされた方なら分ると思うが、柔道着は臭い・・・剣道の小手も臭い、空手着もボクシンググローブも・・・もう、いいか。私は犬のような嗅覚を持っているので~尚更、ツラい。だが、先代は言った。「俺も初めはクセェ~な!と思ったが、だんだんイイ匂いになって好きになっていくんだよ。」←本当かよ!と、ツッコミたかったが、先代は圧倒的な威圧存在だったので口ごたえなんかしたら、フツーの家庭は殴られる・蹴られる・引っぱたかれる時代にウチは投げられて・絞められて(寝技)・落とされていた(失神)。
柔道を習って1年が過ぎようとした頃、柔道大会があり出場・・・させられた。場所はドコだったか忘れたが講道館ではなかった。そして大会当日、満員の会場の雰囲気に私は完全に吞まれてしまった。「はじめ!」と主審の声にビクっとして、もう頭の中は~ココはドコ?私は誰?状態である。対戦相手は確か私より背格好が小さい子だったと思う。ドドドォ~っと詰め寄られてストーン!と投げられた。「場外!」主審の声と共に赤い標識の外に私はぶん投げられていたのでノーカウント。試合会場の周りには柔道着を着た子供たちが、ひしめき合っていて「よ!新妻選手!弱いよ!弱いよぉ~!」と、ヤジも飛ばされたが頭の中は呆然としたままで・・・中央に戻って「はじめ!」の声がかかった2秒後か?スッと懐に入られてストーンと、また投げられた。「一本!」・・・もう、何が起こったのか分からなかった・・・。そんな中、鬼の形相で試合を観ていた先代が「チッ!情けねぇ野郎だ!2回も綺麗に投げられやがって!お前は試合をする前に!自分に負けてるんだよ!自分に負けてるヤツが人様に勝てるか!もう柔道なんか辞めちまえ!」・・・THE 昭和の父親であり、歯に衣着せぬ言いっぷりに試合後もコテンパンにやられた気分だった。その2日後だっただろうか私は柔道着を脱ぎ捨て、空手着に着替え自ら空手道場の門を叩いた・・・
三和機工に29歳の時に入社した。当時は毎日、営業に行っていた。当初から社長の息子というレッテルを貼られていたので社内外でも色々な事を言われた。外では「お父さんに頼んで半額にしてもらえんか?」と。私は「はじめてのおつかいじゃないんですから~勘弁して下さいよぉ~! 倍にしますよ♪」と、ニコッと笑った。そして、社内も色々あったが、まぁ~ここは端折ろう。ただ社内に当時、イヤな空気感はあった。それはトップとボトムは同じベクトルを向いているのに中間層が妙なクッション材みたいに妨げているような・・・三和に入ると決めた以上!より良い方向へ目指したいと、あらゆる策を講じた。そして当時は東京本社と豊橋工場で分かれていた為あまり先代と話す機会も無かったが、何を聞きつけたのか?東京へ来い!と呼ばれた事があった。
東京で先代と2人だけで酒も吞まずに会社の話をしたのは、あれが最初で最後だった。私は三和の良いところ・悪いところ・進めていく方向・やめた方が良いと思う事、等々・・・当時、私が考えられる頭の中で考えられる限りの言葉を先代にぶつけた。先代は暫く黙っていた。長い沈黙の中、何分が過ぎたのだろうと、息苦しい静寂を破った先代の言葉は「吾郎、、、お前はスゲーな・・・」私は、この言葉で今日も生きている。


