【三和新聞】40号

2004-03-01
第40号 分相応とは?

「分相応(ぶんそうおう)」とは、人の言動や行状や持ち物の適否、善し悪しを言う言葉だが、仕事でもプライベートでも結構気にすることがある言葉である。言葉の正しい意味は、「広辞苑(岩波書店)」によれば「身分や能力にふさわしいこと、また釣り合っていること」とあり、分相応の「分」は、身の程、力量、地位と書いてある。この言葉の頭に「身」を付けると「身分相応」、「自」を付ければ「自分相応」、中程に「不」が付くと「分不相応」「身分不相応」「自分不相応」となる。また「分」が「年令(とし)」や、「場」に変わると「年令相応、年令不相応」、「場相応、場不相応」となる。むしろこの「不」の付く方が大事で日頃の言動、振舞え、行状に気を遣わねばならないと私は常々、思っている。

3月【第64号】 第40号 分相応とは?

他人の言動や行状、あるいは持ち物とか身に付けているものがその人に「分相応」ならば違和感なく思えることも、「不相応」なら当の本人は優越感をもって自慢していることも他人から見れば滑稽であり、更には軽蔑され、あまりにひどいと品性を疑われたり信頼を失うことだってある。よく言われることに、安サラリーの若い女性がエルメスやグッチを持ち歩いても誰も本物とは思わない。それはその人の年令とか収入とか諸々から「分不相応」と思うからだ。逆にそれなりの地位やお金のある人ならば、たとえそれが安物や偽物であっても他人はそれを高価なブランド品と思う。それはブランド品がその人には「分相応」と思うからだ。このような事はいろいろある。私はゴルフが好きで毎月「月例会」(ゴルフ場が行う競技会)に出ているが、この会で一緒に回ったハンデキャップ3のシングルさん(本当に上手い人)に教えられたことがある。「たいした腕前でもないのに値段が超高いクラブやプロ仕様の難しいクラブを使い、やたら自慢したり講釈するのがいるがこんな人はうまくならない。自分の腕前、技量相応の道具を使い、技量相応のコース攻略、攻め方をする人が上手くなるよ」と。まさに「自分相応」が大事だということである。また、ちょっと前のことだがこんな「不相応」な事があった。

今年の年始、M社恒例の新年賀詞交歓会に社長に同伴して参加した時の事である。来席者の面々は、日本の工作機械トップメーカーの社長をはじめ蒼々たる方々である。ホテルの会場に料理、飲み物が用意され、綺麗なコンパニオンがたくさん待機している。最初にM社社長が主催者の挨拶をし、続いてトップメーカー社長が祝辞を込めて挨拶をした。次は乾杯である。手に持つグラスにコンパニオンがビールを注いで準備完了。司会者から「乾杯のご発声を」と指名された人がいけなかった。この人はある会社の社長で今年はじめてこの賀詞交歓会に参加したらしいが、M社にとっては沢山設備を買ってくれるお得意さんだったので「乾杯の音頭」をお願いしたのだと思う。この人が壇上に上がり、さあ乾杯かと思ったら大違い、「乾杯の前に一言」と言ってしゃべり出した一言の長いこと長いこと、話す内容も蒼々たる面々を前にしていかにも横柄な話である。皆乾杯のために手に持っていたグラスをテーブルに置いてしまったり、いつまでしゃべっているんだと言わんばかりの顔である。これでは非常識と言われても仕方のない、乾杯の音頭としてはまったく不相応な人であった。やはりその場に相応な言動は大切である。

さて、われらサラリーマンにとって「能力給」「成果給」が当たり前のようになって来た。まさに能力相応、成果相応の賃金を貰うことになる。当然仕事も立場や役職に相応した仕事をしなければならない。担当は担当相応、係長は係長相応、課長は課長相応、部長は部長相応、取締役は取締役相応、常務は常務相応、専務は専務相応、社長は社長相応の仕事をしなければならない。1人1人が分相応の仕事をすることが三和機工の明日につながり、ここで働くわれわれ従業員とその家族みんなのHAPPYにつながる。そして「一流になろう!」の一流に一歩近づくことになるのではないだろうか・・・・・

ちょっと偉そうに書いてしまったが「分相応」だったろうか、それとも「分不相応」だったろうか・・・・・?

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