■今年4月ごろ、社長から富士登山の話を聞いた時に「オレも1度は登ってみたいな~♪」とつぶやいた一言がきっかけとなり、社長が従業員に呼びかけ現実になってしまった。登山が決まって女房に「富士山に登るよ♪」と言ったら「やめなさいよ、あなたの年齢で登れっこないでしょ!途中でダウンしたら他の人に迷惑掛けるんだから!」と強く反対された。「大丈夫だ、自信あるから」「どうしても登るなら今日からウォーキングしなさいよ!」「わかった、そうする!」と言うことで、6月から毎日3キロのウォーキングを続けたことが少しは役立ったように思える。それともうひとつ、NHKテレビ『ためしてガッテン』と言う番組で『疲れないで登山する方法』をやっていた。それによると、(1)ゆっくり歩く。(2)せまい歩幅で歩く。これは至極あたりまえのことだと思う。さらに、これが嬉しい。(3)演歌を歌いながら歩く。ホントかいなと思う。ロックやポップスではなく、演歌でなければ効果は無い、らしい。演歌独特のリズムか何かが疲労防止に役立つ、らしい。番組で一般の参加者がこれらを実行しながら登山した後のコメントがこれまた「ぜんぜん疲れない♪」「今までと全く違う♪」「これならいくらでも歩ける♪」と言うものだった。・・・演歌なら大好きだ。演歌を歌って疲れないなら、五木ひろしや北島三郎を歌っているうちに富士山の頂上についてしまうではないか!こんないいことは無い♪これで楽々富士山に登れる、はずだったが・・・。
■隊列を組んで歩き出してみると平坦な道、むしろ下り坂になっている。これでは自然と鼻歌も出てくる快適な歩きだ。しかし、それも6合目までだった。あとは頂上までただひたすら登るのみである。ゆっくりと、歩幅を狭く、演歌を歌いながらと思うが、とんでもない。そんなもの全く受け付けない急勾配だ。ハアハア息を切らして必死で登る。リーダーが気配りしてこまめに休憩を取ってくれる。そのたびに酸素を吸い、水を飲んでは高山病を防ぎながら登って行く・・・とにかく、キツイ。富士山は眺めるもので登るものではないと言われるがその通りだ。計画では8合目の山小屋に午後6時頃到着予定だったが、3時間半遅れて午後9時半に到着した。カレーライス一杯の夕食、そのまま寝袋にもぐりつかの間の爆睡だ。深夜1時に起こされる。「頂上で御来光を見るには1時半に出発しないとダメですよ!」と言われて山小屋を出た。ヘッドランプを点け完全防寒の身支度で登り出したがとにかく人が多い。自由に前へ進めない。岩だらけの道は益々狭く急勾配になってゆく。下を見れば登ってくる人のヘッドランプ、上を見れば頂上に近い人のヘッドランプとそれに照らされる人影が延々とつながっている。空には満天の星、流れ星がみえる。なんとすばらしい光景か。しかし登りが苦しく、本当に苦しく、ゆっくり眺める余裕など・・・無い。
■午前5時、登っている人の動きが一斉に止まる、そして皆同じ方向を向いている。御来光の始まりだ。はるか彼方雲海の中にポツンと金色の点が見えたと思ったら雲海の上にどんどん膨らんでゆく。歓声と拍手の中、風景は一瞬にして昼間に変わる。感動的なひと時だ。経験したことが無い苦しいキツイ登山も頂上に立つと登りきった達成感と満足感に変わって清清しい。7人全員が途中落伍者無く登山出来たのは経験あるリーダーが体力や体調に気配りして、ペース配分や休憩のタイミング、高山病防止を適切に指示していたからだと思う。何事もリーダーの役割は重要だ。我々物づくりの会社では一人で仕事をすることは無い。常にリーダーたる者の指示采配と決断の如何によって結果が決まる。頂上で朝食を食べ、お鉢めぐり(噴火口一周)したあと、「富士山頂上浅間大社」に会社の発展継続と家内安全を祈願して下山した。―――――――――また行きたい。 |