【三和新聞】105号

2009-09-01
第105号 三和機工 愛してま~す・・・
writer:笠原 芳郎

私は車の運転中にカーラジオやCDを良く聴きます。最近お気に入りの曲は少々古いのですが、吉田拓郎の『落陽』を繰り返し聴いています。時にはボリュウムをグ~ンと上げて身震いしながら聴いています「♪~しぼったばかりの夕陽の赤が水平線からもれている・・・あのじいさんときたらわざわざ見送ってくれたよ・・・みやげにもらったサイコロふたつ手の中で振ればまた振り出しに戻る旅に・・・」旅する若者がバクチ好きなじいさんと出会ったことを歌った名曲です。ふと考えてみると私も、このじいさんの様にサイコロころがしの人生かもしれない・・・。

9月【第141号】 三和機工 愛してま~す・・・

最初のコロガシは友人の紹介で学生時代、アルバイトで機械図面を画き始めたこと。やがて一生の仕事としてやって行けると感じた時である。図面を画くだけでなく画いた図面の『ものづくり』を身近で見たくなりU製作所に転職したのがサイコロころがしの二回目でした。入社と同時に夜間時間を利用して職業訓練校自動車整備科に一年間通学した。U製作所は切削工具メーカで治具専用機も製作している会社で職場も治具専用機設計課に所属した。主な製作品は自動車メーカ向けや家電量産製品の治具専用機が多かったと思う。自動車に興味を持っていた私にとっては訓練校で学んだことが仕事では自動車部品等の切削加工機の設計に携わっていると思うと胸ワクワクの楽しいおもしろい会社に勤めたのも運が良かった。訓練校卒業後は仕事外では週一程度夜間を利用して公的機関の青年趣味講座に参加。やがて自主サークル活動に発展し、春はハイキング夏はキャンプ秋は小旅行冬はスキーと青春を謳歌してきた。又サークル責任者としても仲間をまとめ、品川区社会教育委員からは青年講座企画運営会にも参画要請され勉強させて貰った。良い友人たちと出会えたのも幸運だった。人前に出ても自分の意見が言える度胸もこの辺りからついたと思う。良い経験をさせて貰ったことを感謝している。

時代はやがて第一次オイルショック(七三年)を迎えていた。U製作所も不況にのまれ治具専用機の受注が減り事業撤退を余儀なくされ七五年九月に退職した。サイコロころがしの敗北感を味わった。退職後は旅行やアルバイトで癒しながら職探しをしていたある日、 元U製作所のOさんから新会社設立説明会参加誘いの電話があり、十月十日集合であった。 三和機工設立会で先代新妻社長から設立説明と食事会で入社同意者は十三日朝集合とのことであった。十三日に行くと設計者はOさんを含めて五人だった。即、自分の名刺を渡されS社生産技術部への出向業務を命じられ、直行したことを今でも鮮明に記憶している。U製作所退職からわずか三週間強での出来事だった。サイコロころがし三回目が始まった。以降、現在に至るまで約三十四年間ガムシャラに設計業務一筋に携わってきた。(持論ですが設計思考が行き詰まったときは初心に戻って考えてみよう!)何でこんなに長く勤められたのかと考えてみるとやはり好きな設計業務の出来る楽しさが一番の要因と思う。人生は長い職業です。自分の興味を持った仕事が一番です。好きな事なら苦労を苦労とも思わず完成した満足度で疲れも飛んで又新しい山へのチャレンジ感が沸いてきます。先代社長がよく言われた会社は利益を上げなければ継続出来ない。A(売上げ)―B(原価)=C(粗利益)このCを残せ!この言葉を目標に全員一丸となって働いてきたことも言えます。また仕事外では会社行事の春は家族旅行。秋は社員旅行。冬は忘年会と企画進行幹事を七八年ごろから七年ほどさせていただき皆を楽しくまとめる事も良い経験でした。

山あり谷ありの道のりでしたがここまで完走できました。団塊の世代の三男坊の私は今年「アラカン」還暦になります。今月九月十日で無事定年退職となります。会社に来るのが楽しみでした。又良い仲間に恵まれました。仕事外でも楽しめました。有難うございました。退職後はサイコロころがしの四回目・・・振り出しに戻って旅に出ようと考えています。サイコロの良い目が出ることを期待して・・・。私の勤めた三和機工最高でした!有難うございました!「三和機工 愛してま~す」お元気で。

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