【三和新聞】149号

2013-05-01
第149号 ZANSHIN
writer: 新妻 吾郎<

 【ZANSHIN】という言葉がある。「・・・わぉ!そのアイデア~斬新♪」の『ざんしん』ではない。残る心・・・残す心と書いて【残心-ZANSHIN-】である。『心残り』という後悔的なネガティブなイメージではなく、古来~武道や茶道などにおいて用いられる言葉であり『心が途切れない』『余韻を残す』という意味合いを持ち、日本の美学や禅と関連する概念でもある―――――

5月【第149号】 ZANSHIN

武道における残心とは、技を決めた後も心身ともに油断をしない事である。たとえ相手が完全に倒れたと見えてもそれはウソっこである可能性もあり、油断した隙を突いて反撃される恐れがある。それらを防ぎ、完全なる勝利へと導くのが~残心である。この精神を詠った道歌に次のようなものがある。『折りえても 心許すな山桜 さそう嵐の 吹きもこそすれ』(桜を手に入れたと油断するな。嵐が吹いてしまったらどうするのだ!)・・・武道には、柔道・空手・弓道・合気道など、それぞれの中にこの残心の教えがあり、1つの技(動作)を行う前・行っている最中・終えた後も引き続き一貫して維持される精神状態を指す。剣道においても、この意識した状態を持続しながら、相手の攻撃や反撃を瞬時に返すことが出来るよう身構えていることを残心と呼び、また残心がなければ技が正確に決まっても有効打突とならず、この心技体をもって体現し一拍おいて刀をおさめるといった一挙一動を『残心』と呼ぶ。・・・何故に剣道を例に挙げたかというと~先日、息子が地区の大会で優勝したからである。←う~ん♪親馬鹿の宮本武蔵好き♪茶道における残心とは、千利休の道歌に表れており『何にても 置き付けかへる 手離れは 恋しき人に わかるると知れ』(茶道具から手を離す時は、恋しい人と別れる時のような余韻を持たせよ。)と説いている。これは井伊直弼にもまつわるが、茶湯一会集において『一期一会』という名言があり<一生涯に一度限りの機会の意>、たとえ同じ顔ぶれで何回も茶会を開いたとしても、今日ただ今のこの茶会は決して繰り返すことのない茶会だと思えば、誠意を尽くし何事もおざなりにすることなく~この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょうという・・・物にも人にも残心の心得をという意味で、平たく言えば、これから何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度と会えないかもしれないという覚悟で人に接しなさい、ということである。

・・・さて、偉そうに書き綴ってきて振り返れば~私自身、この『残心』が足らぬばかりに『心残り』が盛り沢山である。と、チョットややこしくなってきたが・・・私自身の事はそっと?棚に上げてみて・・・あなたは、どうだろうか?お茶出しの時、その手に残心はありますか?人様をお見送りする時、その人が見えなくなるまで~残心はありますか?電話に出る時や電話を切る切り際に、毎日の『挨拶』を交わすその瞬間に、心を残しておりますか?・・・営業で同じ説明を何度もしたり、同じ加工や組み立てや検査の動作をしたり、全ての繰り返し中に『一生涯に一度限り』の思いを繋ぎ合わせて『責任ある襷(たすき)の受け渡しを!』と。武道における残心を~茶道における残心を!とお伝えしたいのですが・・・チョットしつこいですかね?

では、話をコロッ!と変えてみて~残心してはイケナイと思うモノもあり・・・それは~便器のフタ。私は使い終わったら便器のフタは必ず閉めるようにしている。風水に詳しいワケではないが、邪気にフタをして幸運を呼び込んだり、医療的に清潔を保ったり、暖房便座の放熱を防ぎ節電につながることもさることながら~残心というか『影』を残したくないからである。自分の家や人様のおウチ~公共のトイレなどシチュエーションは様々だが、例えば居酒屋で男女共同のトイレだとして、並んでいたら綺麗な女性が出てきて、入って便器のフタが開いていたら~私は「ワォ♪」とはならない・・・多分。それは<今、そこでしてました。>という『影』があるからである。イイ女(男も!)の条件は、そういうトコでは残心ではなく『影』を残さず~消して、やりっ放しではなく~しっかりフタを閉めて!リセットして欲しいのである!最近よく見掛けるので、ちょっとズレた話を熱弁してしまったが・・・何はともあれ~もうすぐ四捨五入すると50ちゃいになってしまう今日このごろーっち♪(寒)心を残し、心に残る~言動をし『人間力』を高めていくと共に、心を残し、心に残る~仕事をし、製品を世に、人様に送り届けたい

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